過疎の山里・春野町で暮らす

山里暮らしの日々を綴る/いちりん堂/NPO 法人 楽舎

風船爆弾と風船おじさん

学徒動員で働いたというおばあちゃんから話を聞いた。なにをつくっていたかというと、「風船爆弾」。

竹のひごにコンニャク糊で和紙を貼って気球をつくる。それに、水素を詰め、大気高層のジェット気流に乗せてアメリカ本土を攻撃しようというもの。当時の日本は、大真面目に風船爆弾で攻撃しようと考えていたらしい。

アメリカ西海岸にまで、そのような風船が飛んでいくはずもなく、近くの日本の林に落ちて山火事になったこともあったらしい。アメリカが原子爆弾を製造していたときに、日本では、竹槍と風船爆弾というお粗末。

ところで、かつて「風船おじさん」がいた。数十個のビニール風船を付けたゴンドラに乗って、太平洋横断をしようと思い立つ。多額の借金を返済するためという説もあるが、空に舞い上がって、そのまま行方知らずになった。

じつは風船おじさんの元の奥さまと知りあいなんだけど、その方から聞いた。風船おじさんは、宮城県金華山沖の空を飛んでいるところまでは、海上保安庁によって確認されていたんだそうな。

いまでも夜中に電話があると、「もしや夫からでは……」と思うと言っておられた。

風船爆弾も風船おじさんも、どちらも大真面目だったんだろうな。なんというか、無謀というか、やぶれかぶれというか、ドン・キホーテのような。でもそういう心が、何事かを成し遂げるのかも。