過疎の山里・春野町で暮らす

山里暮らしの日々を綴る/いちりん堂/NPO 法人 楽舎

インドの聖者にもいろいろ

インドで修行しているヒンドゥーの坊さんから、「こんな聖者が、実際にいたんだよ」という話を聞いた。▲実際に、南インドケララ州にいたんだそうな。写真も見せてもらった。その聖者なる人は、なんと600年も生きていたというのだ。(インドでは、こういう話はよくある。ものすごく眉唾だけど)

で、どんな聖者かというと、もう外見はまったくのよぼよぼで、乞食のような姿(インドの聖者は、だいたいこんなふうだ)。なにも求めるものがない、ただいつも楽しそうに笑っている。女性を見かけると、まるで子どものようにおっぱいをさわったりもするんだそうな。▲深い瞑想に入るときは、奥深い山にいたり、ときには海の底に沈むとか。漁師が魚をとるために網を掛けると、たまにその聖者がひっかかってくるんだとか。その聖者は、「せっかく一人でいたのに、邪魔をしないでくれよ」と言ったとか……。

こういう聖者は、インドでは“アヴァターラとかアバタージ”という。まあ、神の化身、分身のような意味あい。▲とりたてて深遠な教えを説くでもない、立派そうな姿でもない、一見すると狂人だ。しかし、内面は、深く穏やか。自己に充足していて、他に求めるものがない。▲まるで、悠々と遊ぶために、この世に生きているような。無邪気な子どものような。そんな聖者。中国だと、寒山拾得みたいな。▲イスラムの神秘思想のスーフィズムの聖者は、“ファキール”というけど、やはり乞食同然の格好をして、歌い、笑い、くつろいでいる。

ちょっと日本じゃ、まずいないよね。でもインドを旅すると、こんな類いの聖者なのか狂人なのか判別できないじいさんには、よく出くわす。まあニセモノがほとんどなんだけど。▲そうして、乞食のじいさんでも、ものすごく哲学的な顔と佇まいをしていて、う〜ん、インドって底知れないなあと思う。