過疎の山里・春野町で暮らす

山里暮らしの日々を綴る/いちりん堂/NPO 法人 楽舎

自分の親が、そして他ならぬ自分が、いつなんとき認知症に

認知症の方と昨日、今日とお会いした。▲ひとりは、いつも回覧板を持ってきてくれる方。ひとり暮らしの70代の女性。物忘れが激しくなった。話をしているうちに文脈がばらばらになる。歩くときに転びそうになる。怒りの感情をあらわにする方ではなかったのに、怒りをあらわにするようになってきた。▲その方は、さいわい親戚が近所なので、お世話をする人はいるのだけれども、それにしても火の始末など心配になってくる。

もうひとりは、友人の奥さん。70代。何度もお会いしているが、会うたびに始めまして、となる。自分の娘のことも、それとは分からなくなっているという。▲夫には、やはり怒りをあらわにしている。その友人は食事から身の回りの世話を何年も続けている。でも、奥さんからはほとんど感謝されていないし、ぎゃくに怒られたりしている。▲どこにも逃げられないし、死ぬまで介護を続けるという覚悟はできている。すごい修行だなあと思う。

いまぼくは50代だけど、70代なんて、すぐそこだ。自分の親が、そして他ならぬ自分が、いつなんとき、認知症にならないとは限らない。なにしろ、レーガンだってサッチャーだって、認知症になったんだから。▲自分を見失うのは怖い。しかも、徐々にそれが訪れる。予防策はあるのかなぁ。まあ、つまるところ、きょうという一日を大切に生きるってことになるんだろうけど。