過疎の山里・春野町で暮らす

山里暮らしの日々を綴る/いちりん堂/NPO 法人 楽舎

夢──ゲシュタルトの気づき

「おれは靴だ、黒くて重たい靴だ」
さらに続ける。靴そのものになって言う。

「おれはくたびれている。重たいし、冷たい。いつも、邪魔そうに押しやられていて寂しい。そして頭にきている」

そんな言葉が出てきた。語っていると、はっと気がついた。おお、この靴って、まさに自分そのものじゃないか!

ゲシュタルト心理学の夢のワークショップに参加していたときのことだった。
わたしはよく靴の夢を見ていた。出かけるとき靴が一足見つからない。靴の紐が結べない。どうしよう、時間がない、というような夢だ。

この時のワークでは、夢からメッセージを受けとるために、「靴」に焦点を当ててみたのだ。

その靴は、焦げ茶色でずっしり。下駄箱の隅にある。履きこんでいて古い。──それは、外側からの描写だ。

ゲシュタルトは、ここで立ち位置を転換させる。こんどは、自分がその靴そのものになる。自分が靴となって、表現してみるのだ。

そして冒頭のように、靴になることで、心の底にある寂しさ、やるせなさ、無力感、怒りが、ぽーんと表出されたのだった。

いままで幼少期から、抑圧していた感情かもしれない。堅い鎧で自分を覆っていたのかも。その氷山に、ヒビが入ってゆく感じがしたのだった。

あれこれと解釈するよりも、身体的に腑に落ちる、はっと気がつく、そこに至って夢の力が迫ってくるのだと思った。