雷が鳴る。どどどどどーーーーんと、近くに落雷したような地響きがする。雨がざざざーー、ぱらぱらぱらっと降りだす。壮大な光と音の交響曲のようでもある。
目をつむって、雨の音を聴いている。車の上に落ちる音、トタンの屋根に落ちる音、それぞれ雨の音が違う。音のちがいで、距離の広がりが分かる。なんとなく風景がわかる。
わたしたちは、普段、見えている世界にいるから、音を聞いているようで聞いていない。風を感じていない。気配を感じていない。そのことが、目を閉じてみるとよくわかる。
「見る」というのは、「考える」こととつながるようだ。見ることで、思考が動いている。思考が動いているとき、「感じる」ことは弱い。
見ることをやめると、感覚の世界が動き出す。ためしに、目をつむってすこし歩いてみるとよく分かる。感覚を総動員しないと危なくて歩けないからだ。
音に敏感になる。触感が鮮やかになる。皮膚感覚が冴えてくる。動くときの重心の移動も、筋肉の動きが感じられる。
烏がどちらに飛んでいくのか、羽の音、鳴き声で分かる。風の向きが感じられる。小川の水の気配、香り、冷気がわかる。
感覚が鋭敏になると、考えているゆとりはない。感じる世界にいると、考えは止まる。
過去も未来も追わなくなる。いまここに目ざめるような気がする。そしてまた、感じることで、イメージの世界が膨らむように思う。
※スケッチは、南インドのケララ州の島にて。学生たちを連れてペルンパランという島で上作りのボランティア活動をしたのだった。目をつむると、あのときの光景が浮かんでくる。