過疎の山里・春野町で暮らす

山里暮らしの日々を綴る/いちりん堂/NPO 法人 楽舎

2021-05-01から1ヶ月間の記事一覧

夢の効用って

夢はいつも見ているのだろうが、覚えていない。よく眠れなかった朝などに見ることが多い。しかし、見るのは(覚えている)、あんまりいい夢ではない。 今朝方、すっきりしない夢を見た。どうなるんだろうという不安、人に媚びようとする自分、言いたいことが…

あかりとのあそびは過激だ

あかりとのあそびは過激だ。「闘いごっこしよう」「よーし、やろう」 尾てい骨わりだぁ、ココナツクラッシュうぅぅ、脳天唐竹割りぃぃぃ、水平撃ちいぃぃ、ブレーンバスターあぁぁ、パイルドライバーあぁぁ、コブラツイストぉぉぉ、人間風車あぁぁ、スピニン…

ひとりで絵本を読み出したことはうれしい

ヨーガをしようとマットを敷いたら、あかりに奪われてしまった。「ねこのオーランド」という大きな絵本を持ってきた。寝っ転がって、声を出して読みはじめた。まだ、言葉の意味はつかんでないとおもう。ひとりですすんで読書できる子になれば、自分で学んで…

毎日、毎日、花がひらく

庭に咲いている花。 。ペットボトルの花瓶が便利でいい。

こうして一日一日、なんとか生きられたということ

87歳のお二人の会話。ひとり暮らし。目が不自由、足腰がおぼつかない。 日々、体の自由は利かなくなる。親しい人は次々とこの世を去っていく。先のことを考えると、不安なことばかり。楽しいことはなにもない。することもない。近所の人も、おなじような年齢…

南無妙法蓮華経も南無阿弥陀仏も

南無妙法蓮華経も南無阿弥陀仏も、となえて(称名、唱題)みれば、ほとんど変わらない。不動真言も、神道の祝詞も、ヒンドゥーのマントラも同様だ。それを信仰している人からは、「とんでない」といわれるだろうが。実践してみれば、身体感覚においてかわら…

いまの現実

①いま自分のいる現実こそが、自分が選択したものであり、望んだ結果である。 ②いまの現実は、自分が学ぶために現れている。学びの最適な環境が、いまの現実である。 ③どんな行為においても「意識的」であること。なにをするにしても、ちゃんとそこに意識(SA…