過疎の山里・春野町で暮らす

山里暮らしの日々を綴る/いちりん堂/NPO 法人 楽舎

2017-06-01から1ヶ月間の記事一覧

馬頭琴のコンサートにいってきた

馬頭琴のコンサートにいってきた。演奏するのは、モンゴルから来日した、ツェレンドルジ・ソヨルエレデネさん。36歳。これは超低音で響かせていきながら、そしてホーミーといって、倍音で歌う。馬のいななくような音、馬が走るような音、チェロ響き、激しく…

いろいろな出版のサポートの仕方がある

好きなことを深めていく。得意な分野を磨いていく。創意工夫が楽しい。飽きないし。なによりも収益がともなう。言いたいこと、伝えたいこと、アピールしたいことを、かたちにしていく。文章にする。冊子にする。本にする。新聞にする。そのサポートをする。…

田植え機が動かない

田植え機が動かない。田んぼの中に深く沈み込んでしまって、脱出できない。泥の中で車輪が空回り。ついには動かない。何人かで押したり引いたりしても、ついには膠着状態。トラクターにロープを付けて引っ張って、かろうじて脱出。車輪に動力を伝えるシャフ…

こわしたら二度と、おなじものはできない。ああもったいない。

廃校などの活用についてかんがえてきた。古い建物はほとんど「耐震に問題あり」だ。もしも利用中に地震による事故が起きたときには、行政の責任となってしまう。耐震工事をするとなると、莫大な費用がかかる。放置しておくと維持費もかかる。都市経営上では…

この校舎は、築90年 木工作業所に

過疎地ではつぎつぎと廃校になる。学校は集落の「核」みたいなもので、廃校になるというのは、集落の核が消滅することでもある。学校がなければ、子育て世代は住まなくなる。高齢者ばかりとなって、やがて集落は消滅していく。それでも廃校は活用のしがいが…

廃校、茶工場、空き家が、まちなかと山里の交流の地域資源にも

ある団体が山里で展示に使える場所を探している。絵画とか彫刻などたくさんあるらしい。展示だけではなくて、作品の保存もできる場所がいいという。美術館長からの問い合わせだ。山里には、場所としては沢山ある。たとえば廃校、茶工場、空き家など。廃校を…

地道な代かき作業

きょうは地道な代かき作業。炎天下の仕事はつらい。田んぼが5枚もあるので、水漏れする田んぼの補修。畦塗りをしたり、ていねいに代かきしたり。なにしろ20年もの休耕田なので、どこかに穴があって水が漏れる。モグラが空けたりもしている。苗を植えたとき…

死者、亡霊に対する恐れからきている

人を成立させているものは「魂魄」(こんぱく)である。魂は精神、心を支えるエネルギー。魄は肉体を支えるエネルギーといおうか。人が死ぬと魄は地に還る。そして魂は天に還る。これは古代中国の思想であるが、日本にも、もともとあった考え方だと思う。し…

来世についてのイメージかな 生と死を繰り返す

人は肉体と心でできている。死ねば、肉体は滅ぶ。地に還る。 しかし、心は滅びない。では、どこいくのか。天に還る。山に還る。あの世に還る。そしてまた、いつの日か、新しい肉体をともなってこの世に生を受ける。縁の深い子孫のもとに生まれてくる。そして…

突発性発疹の症状と符合

先週は、あかりが高熱を出した。38℃を超えていた。とても苦しそう。でも3日くらいで熱が引いた。安心していたら、頬に赤い斑点がぽつぽつ出てきている。なにか食べ物が悪かったのだろうか。蕁麻疹だろうか。わからない。用事で家族で東京に日帰り。往復8時間…

大きくは「死後の霊魂を認めるか、認めないか」という見方

ざっくり仏教を見ていこうと思っている。仏教と一口に言っても、たとえば、釈迦の説いた教えかそうでないか。顕教か密教か。一神教か多神教か。自力か他力か、祈るか祈らないか、などなど。ものすごく大ざっぱに分類してみながら、その本質をみていきたい。…

日蓮は魂魄を佐渡の地にとどめて書いた

人は死ねば、魄(肉体)は地に還る。心(魂)は天に昇ると考えられていた。これは、いわば古代中国の思想である。けれども、天にのぼらない魂がある。それは、この世に伝えたい、うったえたいことがあるとき、天に昇らないで地にとどまる。日蓮にこういう手…

やっと今夜、印刷手配が完了

田んぼ仕事は仲間にお願いして、この数日は、本つくりの仕事に専念していた。友人のご両親の回忌法要のための冊子をつくっていた。ご両親の供養のために本を出すというのはいいね。けっこう余裕を見ていたが、間際になって四六判サイズじゃなくて、A5版でな…

仏壇の風景のつづき

仏壇の風景のつづき。宗派によって、いろいろと祭り方はことなる。ざっくりいうと、一神教的なものと多神教的なものによってちがう。一神教グループとしては、たとえば創価学会。日蓮のあらわした十界曼荼羅だけが本尊。それ以外の仏菩薩などは、絶対におか…

仏壇と位牌と仏様

お訪ねしたお宅は、立派な風情のある仏壇が安置されていた。仏壇に座って挨拶。リンをチーンと鳴らして礼拝。中央には大きな位牌が鎮座されている。あれ、仏さんは? というと、脇に印刷された小さな仏さまの絵がかかっていた。仏様は、位牌よりも見劣りする…

年齢差は80年余

ゲートボールをながめていた。カチンという音、転がる球に興味を示していた。年齢差は80年余。最高齢は90歳。その方の奥さんは、介護施設にいて98歳になるという。

どんな日でもいまが輝きの一日だ。と思って今日をいきる。

そのときには、無我夢中でわからない。なにしろ余裕はないし。忙しい。視野が狭い。思い込みが強すぎる。いっぱい、いっぱい。けれども、あとでふりかえると、ああいい時代だったなあ。すてきだった。そういうことが、たくさんある。あの時をもっとたいせつ…

小さな石に描いたり、流木に刻んだりして、それを拝むというのも

友人が石に描いたもの。良寛の歌。アクリル絵の具で描いている。こんなふうに、品格のあるうつくしいものに描くのは、相当の力量がいるけど、楽しそうだ。そうだなあ、位牌とかも、こんなふうにできたらよいかもしれないとも思った。お墓だって、なにもでー…

あかりをつれてホタルを見に

毎夜、あかりをつれてホタルを見に行っている。8時半くらいからたくさんあらわれる。でもはげしい雨の後になると、随分と少なくなってきた。来月になると、こんどはヒメホタルが現れる。こちらは、ゲンジボタルのはかなげな光とちがって、チカチカチカとLED…

朝の散歩コース

あかりを肩車しての朝の散歩コース。さくさくさく。桜の木の下を歩く。ホタルの棲息する水辺では、やわらかな水の音が聞こえる。さらさらさら。ちょろちょろちょろ。とぷんとぷん。カエルがゲコゲコ。鳥たちが、チッチッチッ。まるで歩く瞑想の道。堤のむこ…

先祖供養の意義があるとしたら、二つ。

先祖供養に意義があるとしたら、二つ。ひとつは、先祖への感謝。自分につながるいのちに対する感謝。この世に生を受けたのは、あなたたちのおかげです。ここまで、生かさせてもらって、ありがとうございます。みんなに喜んでもらえるような、清々とした生き…

スマナサーラ長老に供養についてお聞きした

一昨年、スリランカのスマナサーラ長老にインタビューした。多岐にわたる内容だが、先祖供養について、一部ご紹介します。──先祖供養ということは、どう考えたらいいですか。ひとは誰でも、先祖に感謝の気持ちをもっているでしょう。テーラワーダの文化でも…

父母の孝養のためとて、一辺にても念仏申したること、いまだ候はず

「自分は、亡き父母の供養のために念仏したことなど、一遍もない。いのちあるものは、生まれては死に、そしてまた生まれては死にを繰り返している。いのちあるもののすべてが、自分の父母でありきょうだいである」これは親鸞の言葉である。原文はこうだ。「…

「先祖供養」の三つのポイント

先祖を大切にする。先祖とともにある暮らし。それが、日本の宗教、信仰心の中核にある(あった)と思われる。生き方を説いているはずの仏教も、徳川時代の寺檀制度のもとで、葬送と先祖供養を柱とした仏教に変容していった。いまもその流れにあるとおもう。…

先祖の数をわかりやすく図にしてみた

先祖の数をわかりやすく図にしてみた。塁とは、重なっていくというイメージだが、まさに「先祖累代」という感じ。ひとつが欠けても、いまの自分は存在しない。祖父母は二人しか知らない。いずれも若くして亡くなっている。曽祖父のことも知らない。4代前の…

先祖の数はものすごい人数になる

先祖供養というけれども、先祖の数はものすごい人数になる。ちょっとエクセルで計算してみると、わかる。自分より4代前の高祖父母は16人。そこからさらに4代さかのぼると、16×2×2×2×2、8代前は16×16=256人。さらに4代さかのぼった12代前は、256×2×2×2×2=256×…

先祖の数はものすごい人数になる

先祖供養というけれども、先祖の数はものすごい人数になる。ちょっとエクセルで計算してみると、わかる。自分より4代前の高祖父母は16人。そこからさらに4代さかのぼると、16×2×2×2×2、8代前は16×16=256人。さらに4代さかのぼった12代前は、256×2×2×2×2=256×…

先祖の供養というのは、かんたんにできることじゃあない

友人との対話の続き。みんな転生しているから、先祖などいない。そうかもしれない。けれども、転生できないでこの世に執着している先祖がいるのだう。そのひとたちを、どうやって供養すればいいんだろうか?かれは、こう話したのだった。先祖の供養というの…

ブッダとイエスは、死者の葬儀についてどのように

ブッダとイエスは、死者の葬儀についてどのようにブ述べているだろうか。まずはイエス。弟子のひとりがイエスに言った。「主よ、まず、父を葬りに行かせてください」。イエスは彼に言われた、「私に従ってきなさい。そして、その死人を葬ることは、死人に任…

このお経の響き、なかなかいい

このお経の響き、なかなかいい。チベット仏教のお経かなあとおもって聞いていたら、どうもちがうようだ。中国いや台湾かと思う。聞いていると、大悲心陀羅尼(ナムカラタンノー トラヤーヤー)をよんでいる。そして、南無阿弥陀仏ともとなえている。こちらは…