過疎の山里・春野町で暮らす

山里暮らしの日々を綴る/いちりん堂/NPO 法人 楽舎

2017-04-01から1ヶ月間の記事一覧

こんなすてきなサクラ空間がひろがっている

事務所から徒歩3分で、こんなすてきなサクラ空間がひろがっている。まだサクラは八分咲きというところ。今朝は雨あがりで寒かった。明日あたりは満開かな。あかりもうれしそうにはしゃいでいるけど、サクラに感激しているわけじゃなくて、ただ走るのが楽し…

農家民宿「たべや」の水野さんのところに

くんまに出かけたので、農家民宿「たべや」の水野さんのところに、寄らせてもらった。ここは静岡県で農家民宿第一号。ヒツジやヤギがいる。うちの田んぼで活躍したカモくんを大切に飼ってくださっている。立派な小屋でカモ君たちは、しあわせそうだった。あ…

海外の人からみた、日本の森のこと、日本人の暮らしぶりなど

昨日の光明寺で行われたイベントで、ドイツ人ウォルフラムさんと再会。春野に移住したいということで、夫婦で家探しに来られたのがきっかけ。かれはエンジニアだが、スイスにも暮らし、日本滞在も長い。春野の近く、横川で奥さんとクライネスカフェを経営し…

芸術性のあるものに接して、作者の人がらや創作の意図に触れるのはたのしい

どこか鎮魂の響きを感じさせる作品だ。切り株に苔を敷いてその上に展示してある。なかにロウソクの火を入れてもいいし、植物を育てても面白い。森のなかにいくつも置かれていた。こちらは、春野出身の木下さんの作品だ。昨日でかけた「天竜アートキャンプ」…

それをやっていて、躍動するかどうか、楽しいかどうか

価値の本質は「希少性」だ。掃き溜めにツル。掃き溜めのような汚いものばかりの中に鶴がいると、そこに価値がある。しかし、ツルばかりのなかに掃き溜めがあったら、それに価値がある。『阿弥陀経』によれば、極楽浄土には、金銀瑠璃などの宝石ばかりが輝い…

「仏教の源流 インドの大地を訪ねて」の講演

「仏教の源流 インドの大地を訪ねて」というテーマで、ぼくとスワリナリさんとで、お話させてもらった。こんな雨の中、30名ほどの参加者で、ぎっしりツメつめ。スワリナリさんが、インド風のスナックとおせんべいをつくってきてくださった。いろいろな質問に…

四月八日はお釈迦さまの誕生日

親しい友人にマルカスさんというインド人がいます。カレーショップを経営し、インドの仏蹟参拝の案内もします。日本語が堪能で、かれからいつも仏教の話を聞いていました。きょうはお釈迦様の誕生日ということで、かれの語った話を掲載します。四月八日はお…

デイサービス「みんなの家」に通うあかり

あかりが手を挙げたといっては笑いを誘い、拍手をしたと言っては喜んでくれる。11時から、「きょうはなんの日」というお話。どんな記念日、だれそれの誕生日と。昨日は、法然上人の誕生日だとか。それから、歌。ウクレレや沖縄三線の伴奏で、春が来た、むす…

首輪をやめてハーネスにした

ランは首輪をやめてハーネスにした。庭では囲いをして、その中ではリードを外して自由に動けるようにした。ところが、こないだ脱走してしまった。畑にいたおばあちゃんが、ランをみてオオカミかと思って驚いたと言っていた。しかし、人なつこいのでゴロンと…

タンポポが咲いて、モクレンの花が開いて

タンポポが咲いて、モクレンの花が開いて、もうすぐサクラが咲き始める。毎日、肩車して、土いじりと水あそび。花の観察。

祓った汚れや穢れは、どこにいくのだろうか

神道には大祓(おおはらい)の儀式がある。罪穢れを祓う浄化の儀式だ。漢文のお経とは違ったあじわいで、大和言葉の響きも心地よいので、たまによむ。知らず知らずのうちに犯したであろう罪や過ち、心身の穢れを、となえることで清められるような、気もして…

森下さんの森で杉の木を伐らせてもらう

稲刈り後の天日干しをする(稲架掛け)ための長い樹の棒(ナル)が必要で、田河内(たごうち)集落の森下さんの森で杉の木を伐らせてもらうことになった。森下さん親子で、懇切に樹の伐り方を教えていただいた。足場の悪い斜面で重たいチェーンソーをもって…

棟方さんには「唐詩の世界」を講座をお願いした

春の雨、そして霧の立ち上るなか、川上の集落に棟方徳さんを訪ねた。かれは元大学の准教授で中国文学を教えておられた。春野に移住して10年近く。こんど、春野町の人たちを対象に、「らくいき講座」という文化教養講座を企画している。それで、棟方さんには…

『法華経』に出てくる「惟忖」ということば

『法華経』(1)近ごろ有名になった字が「忖度」。「忖」は、相手の気持ち、相手の胸の内、そっと推しはかるというように意味になる。たまたま今朝、『法華経』を序品から読んでいて、「忖」の字が出てきた。「惟忖」と使われる。「ゆいしゅん」と読むらしい…

蔵も使える。喫茶店もできそう。プチコンサートも

一年間、おためし住宅に暮らしていたM君、31歳。いよいよそこを出なくてはならずに、新しい住まいを探していた。(おためし住宅は、地域になじんで春野の暮らしをよく知ってもらい、定住するための住居を探すためのもの。家賃は月に1万3千円)アテにしてい…

仏教のことを話してほしいという依頼が

仏教のことを話してほしい。そんな依頼があって、あちこちで話をさせてもらうことが多くなった。お坊さんの集い、がん患者の集い、障害者の創作発表の場、シルバーエイジの集いなど。聞いてくれる人がいるのはありがたい。たとい一人でも二人でも、質問をし…

話題は、死についてのことばかりになった

図書館の帰りにMさんのところに寄る。とくに用はないけど、顔を見に。80を超えておられる。48歳のひとり娘が昨年の7月に亡くなったこと。遺されたのは中1、中3、高3という難しい時期の子どもたち。その夫が仕事と育児でたいへん。さらには2月には弟が亡…

紀伊山地三霊場会の本作り

紀伊山地には、熊野・吉野・高野という三つの霊場がある。日本を代表する霊場といえよう。それぞれ、独立した宗教世界があるけれども、道をとおしてつながっている。三霊場はとてつもなく古い。熊野は千七百年、吉野は千三百五十年、高野は千二百年。ゆうに…

仏教と先祖供養について

仏教の源流インド(4)インドの方とお話する機会が多い。異文化の人から聞かれると、そもそもどういうことなんだろうと、気がつくことが多い。とくに、インドの文化からでてきた仏教が、日本でかなり変容していることに、あらためて気がつく。日本仏教の特殊…

父母の孝養のためとて、一辺にても念仏申したること、いまだ候はず

「あの世」とか「死後の霊界」とか、あるのかもしれない。しかし、ある一定期間が過ぎたら、あらたないのちとして生まれてくるのかもしれない。だから、先祖供養しても、その先祖は「あの世」にいない。もう次のいのちとして、この世に生まれてきている。な…

サクラはヤマザクラがいい

ぼくはサクラが苦手。とくにソメイヨシノが。それは、一斉に咲くから。そして一斉に散るから。とくに一斉に咲くときが、つらい。あんなにあでやかに、派手に、明るく、華々しく、堂々と咲いているすがたに接すると、いつも耐え難い。なにかこう、満開の桜の…

漫然としていたら、はや人生が終わるなぁ……

「一月(いちげつ)往(い)ぬる 二月(にげつ)逃げる 三月(さんげつ)去る」うわっ、もうお正月だどうしよう。なんと、もう三月がくる、どうしよう。おお、いつの間にか4月だ。ひえーー。いつの間にか桜が満開になってしまう。はやいこと、はやいこと。そしても…

いよいよ田んぼ作りがはじまる

いよいよ田んぼ作りがはじまる。昨日は朝の7時半から田んぼのある集落あげての水路の掃除(井さらい)だ。うちのメンバー5名が参加。「井さらい」というのは、かつて田んぼをみんながやっていたときの必須な共同作業。いま田んぼをやっているのは、うちと…

アイガモの卵

アイガモは現在9羽。アイガモたちは網を飛び越えて、あたりの草むらで若草を食べている。いまのところ外敵には襲われていない。なんと! 卵を産んでいた。大友さんが見つけた。巣箱を用意していたが、そこでは産んでいない。野原の真ん中に、温めずに放置さ…

ビワの葉温灸。ヨモギを乾燥して、揉んでモグサに。

ひとつなにか行うと、そのことが縁でまた次の企画が浮かぶ。で、それを実行していくということになっていく。がん患者の集いで講話をさせてもらったところ、来月は、民間療法のワザをお伝えするということになった。ぼくは専門家じゃないし、医療については…

がん患者の集いでの仏教の話

仏教の話をしてほしいと頼まれて、出かけてきた。がん患者の集いだ。日頃の仏教のウンチク話くらいはできる。でも、やはり死と向きあうリアリティのある方を前にしての話だ。生き方、あるいは死に方についての話など、ぼくにはとうていできない。……さて、な…

「日面仏、月面仏」

「日面仏、月面仏」。意味は分からないが、印象にのこる仏の名前だ。「日面仏」とはものすごく長遠の寿命のある仏。「月面仏」とは、一日一夜という寿命の短い仏のことらしい。『碧巌録』』(へきがんろく)にでてくる言葉だ。この書は禅の「公案」を編集し…