過疎の山里・春野町で暮らす

山里暮らしの日々を綴る/いちりん堂/NPO 法人 楽舎

みんなマスク おお!

こんな過疎の山里なのだ。しかし、散策していると畑で、マスクしてトラクターを動かしている。気田川の堤防の道を散策している人。みんなマスクしている。おお!なんという。


あかりの幼稚園の卒業式、そしてて小学校の入学式。みんなマスク。どこをみても、マスク、マスク、マスク。すごいな。嗚呼。
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大人は、まだいい。しかし、子どもがマスクするのは、とてもつらい。苦しい。


だって酸素が不足する。子供の時代の最大の栄養は酸素なのだ。それが制限されている。


相手の顔の表情を読みとるとか、こちらで表情で伝えるということができない。そういう教育環境に通わせなくちゃいけないという現実。ああ、つらい。


そもそも、空気感染のようなコロナに、マスクは予防になるとは思えない。
防毒マスクのようなものなら別だが、いまの程度では、たんなるかたちだけ。かっこうだけ。じゃなかろうか。


だって、首脳会談はみんなノーマスク。プロ野球も大相撲も、アメフトもみんなノーマスク。
ならば、もうやめてしまえばいい。しかし、それをいえないのが日本の現実。
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あかりと会話した。
いまのマスクってのは、頭にざぶんとをの載せているようなものだよ。
どうして?
みんなやってるから、仕方なくやっているだけなんだよね。
たとえば、戦争中はみんな、防空頭巾にモンペ姿だったんだよ。
……と映像を見せる。


みんな、防空頭巾している。
あかりに、マスクするのと防空頭巾ととどっちがいい? と聞く。
頭巾がいい! マスクはイヤだ!と言っていた。

やっと漢字も書けるようになってきた

あかりは、やっと漢字も書けるようになってきた。七月二十九日というのはあかりの誕生日で7歳になる。この4月から、小学1年生だ。
外に囲いをして憩いのスペースを作った。食事も団らんもこちら。この寒いのに、ほとんどアウトドアリビングになってきた。

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炭を口に入れて噛み砕き、歯を磨く

炭を口に入れて噛み砕き、歯を磨く。そうすると、口の中がさっぱりして気持ちが良い。炭はそのまま飲み込んでしまう。これは、デトックスにもなる。


自分で炭を作る。
炭焼き窯で作るのではない。薪ストーブや、風呂釜で作る。
たとえば、サクラの炭。いまサクラは満開だが、木の周りには枝がたくさん落ちている。それを拾ってきては小さく伐る。あるいは、伐採した竹など、とても作りやすい。


密閉缶の中にサクラや竹を入れる。キリの穴は一つは空けておく。それを薪ストーブの中に入れる。


薪ストーブの中は、300℃〜800℃くらいになる。缶の中は、数ミリの穴しか空いていない。酸素の供給はほとんどない。不完全燃焼となる。熱によって急激に組織分解が始まる。まず水分、そして二酸化炭素などの揮発分が炎のガスとなって放出される。


缶の大きさにもよるが、だいたい1時間くらいで炭ができあがる。木の種類、ストーブ内の温度、燃焼時間、缶の大きさ、冷却時間などによって出来上がりはちがってくる。そこがおもしろい。

 

 

 

 

薪を入れる箱に塗装した

薪を入れる箱に塗装した。
蕎麦屋さんから廃棄する天ぷら油をもらってきて、薪ストーブの中の煤(すす)を混ぜた。いろいろと塗装の実験中。


なにしろペンキは高い。コールタールは安いが、臭いはきつい。
ディーゼルエンジンの廃オイルはタダ。しかし、やはり臭いがきつそう、体に悪そう。で、思いついたのがチェーンソーのオイルだ。
こちらは臭いがない。オイルに墨汁を混ぜて犬小屋に塗ってみた。ランもいやがってなかった。
しかし、大量に塗るとなるとやはり高くつく。それで、思いついたのが廃棄する天ぷら油。それに煤を混ぜて塗る。まったくお金がかからない。風呂を焚きながら、釜の中で炭を作り、その煤で塗装もできるとわけだ。

難点はある。しばらくベタベタするし、触ると黒くなる。だが外柵とか建物の基礎とかにいいように思う。

「実家から歩いていけるところに、古民家を見つけることができました」と

「実家から歩いていけるところに、古民家を見つけることができたました」
豪雨の中、報告と御礼に来られた。

30代の夫婦と3歳の家族。田舎暮らし希望の相談を受けたのが、昨年の10月だった。
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春野の空き家をいくつか案内したが、適当なところは見つからず。
聞けば実家が周智郡森町だという。「それなら森町がいいのでは」。三倉あたりなら、空き家がたくさんある。ということで、森町の町会議員や、移住コーディテネイターの岩瀬君につなげた。

いいタイミングできまった。ちょうど子どもも幼稚園に入学できる。
賃貸で畑もついていて広い一軒家。交通の便もいい。
なにしろ実家まで5分ということがすごい。子育てにはとても心強い。じいちゃんばあちゃんも大喜びだと思う。
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いまでもよく移住相談を受けている。春野に限らず、他のエリア(引佐、二俣、磐田、森町、川根町など)を紹介することもある。

その人の暮らしぶり、人生ステージ(自分探し、子育て中、休職中、会社勤め、年金暮らしで悠々など)によってちがってくる。
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人生背景がみんな違う。昨年の例でいうと、ハウスシック症候群でまちなかに暮らせない人、電磁波過敏症で山の中でないと暮らせない人、犬がお年寄りを倒して大怪我させ、損害賠償のために家と土地を売らざるをえない人、親が出て行けというので、田舎暮らしをすると決意した人などが相談にこられた。

わがやの空き家(1,300坪の敷地)の活用も検討している。田舎暮らしのおためし住宅、シェアハウス、森の幼稚園、フリースクール、あるいはDIY可能なの家とか。インドから帰国した夫妻も2か月の滞在、家を片付けてくれてありがたかった。なにごとも縁次第ってところ。

きょうはOSHOの瞑想キャンプ(5月の連休:20人×10日間)の会場探しをしているところ。

《保育ママ募集》

保育ママ募集》
◉仕事内容
①子ども(2歳〜10歳)の保育:みまもり、一緒に遊ぶ
②子どもは1〜3名(最大3名)。現在は、3歳、5歳、6歳児。
◉日にちと時間帯
急募は水と金(どちらか一日でも可)13時〜17時
他の曜日でも可
◉給与
時給:950円+交通費(あるいは時給千円で交通費込)
◉条件
子育て経験のある女性。年齢制限なし。
子育て経験のない方は、保育士または幼稚園教諭の資格が必要。
◉問い合わせ
090-9344-3668(池谷)天竜区気田961-1 みんなの家 
場所はホタル公園の前です。みんなの家は介護施設(デイサービス)ですが、別に保育室があります。

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炭と竹炭の活用法

廃材の活用法


①無煙炭化器を制作した:木っ端は燃やして、蓋すれば炭になる。炭は消臭、防湿、防音。土壌改良にもなる。木っ端や枯れ枝は無限にある。伐採した竹は、粉砕してチップにするよりも、竹炭にしたほうがよさそう。これは今夜、実験してみる。

②おが屑を、敷地に撒いてみる。水たまりの解消。草抑えになる。歩いていて、ふんわかして心地よい。色映えがいい(いまのところだが)。風であたりに舞う心配もあったが、いまのところ問題なし。おが屑も無限にある。

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「日月神示」を読んだ。

日月神示」を読んだ。
ざぞ、とか、おろうが、という言い方に違和感はあるが、内容はとっても伝わる。探求していきたい。


「悪の総大将は奥にかくれて御座るのぞ。
一の大将と二の大将とが大喧嘩すると見せかけて、
世界をワヤにする仕組、もう九分通り出来てゐるのぢゃ。」
「心の世界を整理せよ。
そこには無限のものが、無限にあるのであるぞ。」
 
以下、「第二十六巻 黒鉄の巻」から、印象的なところを適当に抽出してみた。
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今は今の姿が真実ぞ。
あるものそのものが真実であるぞ。
そのあるものを拝み、祝福して、其処から出発せよ。
現在を祝福することは過去を、未来を、総てを祝福することぞ。
たとへ如何なる現在も、その現在を祝福せねばならん。
喜びせねばならん。
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一切に向って涙せよ。
ざんげせよ。
一切を受け入れ、一切を感謝せよ。
一切が自分であるぞ。
一切が喜びであるぞ。
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他の為に苦労することは喜びであるぞ。
全体のために働くことは喜びぞ。
【光の生命】ぞ。
誰でも重荷負はせてあるのぢゃ。
重荷あるからこそ、風にも倒れんのざ。
この道理、涙で笑って汗で喜べよ。
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今まいた種、今日や明日には実らんのざ。
早く花が見たく、実がほしいからあせるのぢゃ、人間の近慾と申すもの。
神の大道に生きて実りの秋(トキ)まてよ。
まいた種ぢゃ。
必ず実る。
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未来にもえつつ現在にもえよ。
神相手に悠々と天地に歩め。
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気づいたことから早う改めて下されよ。
あかりつけなければ闇のよは歩けんぞ。
それぞれのあかりとなれよ。
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わざわざ遠い所へお詣りせんでも、自分の家にまつってあるのぢゃから、それを拝めば同じことぢゃ、
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区別と順をわきまへて居れば、何様を拝んでもよい。
時、所、位に応じて誤らねば弥栄えるぞ。
同じ愛、同じ想念のものは自ら集まって結ばれる。


神心には始めも終りも無いのぢゃ。
総てがあるのであるぞ。
世界見よ。
三千世界よく見よ。
総てが秘文ぢゃ。
他力の中に自力あるのぞ。
自分ばかりでは成就せんぞ。
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学出すから、我出すから行き詰るのぞ。
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フデうつすとはフデを人間に、世界にうつすことぞ。
フデを中心とした世界のはたらきせよ。


フデすてて、仕事に神示(フデ)生かして生活せよ。
生活がフデぢゃ。
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宗教に生きて、宗教に囚はれるでないぞ。
仕事が宗教ぢゃ。
小さいことから始めよ。
小乗の行と馬鹿にするでないぞ。
小乗の行から大乗の真理を掴むのであるぞ。
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悪の総大将は奥にかくれて御座るのぞ。
一の大将と二の大将とが大喧嘩すると見せかけて、
世界をワヤにする仕組、もう九分通り出来てゐるのぢゃ。
真の理解に入ると宗教に囚はれなくなるぞ。
形式に囚はれなくなるぞ
真の理解に入らねば、真の善も、真の信も、真の悪も、真の偽りも判らんのぢゃ。
今にイワトひらいてあきらかになったら、宗教いらんぞ。
政治いらんぞ。
喜びの歌高らかにナルトの仕組、二二(フジ)にうつるぞ。
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人間を幸福にするのは心の向け方一つであるぞ。
人間はいつも善と悪との中にゐるのであるから、善のみと云ふこともなく悪のみと云ふこともない。
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教派や教義に囚はれるは邪の教。
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いよいよ表の守護と相成ったぞ。
表の守護とは、よいものもなく悪いものもなく、只喜びのみの守護となることぢゃ。
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もちつもたれつの世であるぞ。判らんのは、われが偉いと思ってゐるからぞ。
め覚めれば その日その時からよくなる仕組、結構楽し楽しで どんな世でも過ごせるのが神の道。
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まかせ切らねばマコトの安心立命ないぞ。
まかせ切るには、まかせ切って安心出来る神をつかまねばならん。
おかげ信心や病気治しの神ではまかせ切れまいがな。
早う合点結構ぞ。
大きな生命に通ずるものには死はないぞ。
通じなければ死あるぞ。
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身も心も嬉し嬉しなるのがまことの神ぢゃ。


この世で天国に住めんもの、天国に行ける道理ないのぢゃと申してあらう。
神は人間の命、人間は神の容れものであると申してあらう。
人間の極まるところは神であるぞ。
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何事も体験結構。
今の人民の迷信と思ふものの中に正信あるぞ。
正信と思ふものの中に迷信多いぞ。
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親呼ぶ赤児の声で神を求めよ。
神に呼びかけよ。
総てを投げ出せよ。
まかせ切れよ。
神は喜びの光となって、そなたに現はれて来るぞ。
理屈の信仰に囚はれると邪道。
赤児心の理解は第一ぞ。
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自分が自分に語るのであるぞ。
この道理、よく心得なされよ。
時まちて起き出て下されよ。
恨みの霊は中々にとけんぞ。
思ひは能(ハタラ)き、実在と申してあらうが、間違ひでも恨まれると、恨みがまとひつくぞ。
心して神を求め、心して幽界からのキ断ちて下されよ。
判ったと思うたら天狗ぞ。
かへりみるとよくなる仕組。
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喜びにとけ入るから嬉しいのぞ。
喜びから遠ざかるから悲しいのぞ。
そんなこと分ってゐると申してゐるが、ほんとに身体に分ってゐまいぞ。
喜びに入る門は愛からぢゃ。
真からじゃ。
二道あるなれど愛から入るのが入り易いが、愛からでは誤り易い。
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心大きく、広く天地に放さねば、天地のキを吸ふこと出来んぞ。


嬉し嬉しで運命を迎へる気、結構ぞ。
この世のことだけで この世のこと動かんぞ。
霊界との関係によって、この世が動いてゐる道理判らねばならん。
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何事も天から出て来るのぢゃ。
天からとは心からのことぢゃ。


肉を魂とせよ。
魂を魂の魂と向上させよ。


人間は、色とりどりそれぞれの考へ方を自由に与へてあるのざから、無理に引張ったり、教へたりするでないぞ。
今あるもの、今生きてゐるものは、たとへ極悪ざと見えても、それは許されてゐるのであるから、あるのであるぞ。
他を排すでないぞ。
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祈りとは意が乗ることぞ。霊の霊と霊と体と合流して一つの生命となることぞ。
実力であるぞ。


愛は脈うってゐるぞ。
真は呼吸してゐるぞ。
肉体にあっては肺臓は呼吸し、心臓は脈うつ、この二つが一つであって、肉体を生命する。


祈りは弥栄であり、限りない生活であるぞ。
生命のイキであるぞ。
祈りから総てのもの生れるぞ。
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この道はアメツチの道ざと知らしてあらうがな。
清くして富むのがまことぢゃ。


神の理(ミチ)を進むものは嫌でも金がたまるのぢゃ。
金がたまらねば深く省みよ。


不変の中に千変万化、自由自在の存在を与へてあるのぢゃ。


人間の死後、自分の命(イノチ)の最も相応(フサワ)しい状態におかれるのであるそ。
悪好きなら悪の、善好きなら善の状態におかれるのであるぞ。
皆々、極楽行きぢゃ。
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心の世界を整理せよ。
そこには無限のものが、無限にあるのであるぞ。
神の理(ミチ)が判れば、判っただけ自分がわかる。

 

あかりが幼稚園を卒業した

昨日、あかりが幼稚園を卒業した。
卒園したのは、あかりを入れて全部で4名。
年長組のとき、とってもすばらしい先生に出会えたのは、幸せだった。
うわっ、4月には小学生だ。
さてさて、どうなることやら。

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原発の再稼働

ウクライナと、昨日の地震で思ったことだが。
①たとい核を持ったとしても、原発を持っていたら、そんなものが抑止力になるものか。    
②55基もある日本の原発がミサイル攻撃されたら、もうおしまい。
地震津波、その他人為的なミスでも、原発は暴発する。
原発が稼働しても(いま9基)止まっていても、②と③事態は変わらないのではないか。原発を止めても動かしても、リスクはもはや同じ。
原油の高騰、エネルギー不足が必ずやってくるだろう。
⑥エネルギー不足に対応するには、いまある原発を動かすのが経済的。
⑦そのように原発利権が宣伝し、マスコミは一斉にそういう論調になり、原発再稼働が次々と起こるかも。
⑧いつなんとき、国土が破壊され、避難しなくちゃならないのかわからない時代を生きている。
⑨人生、そんなものだ、まあこれも自らのカルマ(業=作為、不作為、言動、思念の結果)と諦らめて(明らめて)生きていくってことか。

 

ついに50刷。 販売累計は14万8千部となった

ついに50刷。
販売累計は14万8千部となった。
初版は8千部だったが、少しずつ地道にコツコツと売れていった。
13年も前に作らせてもらった本だ。
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著者の大島祥明住職は、数千件にわたる葬儀体験のなかで、自らが実感した死後の「本人」のデータを克明に記録してきた。そのサンプルが2,500。
スピリチュアリズムとか宗教の世界というよりも、霊体験のフィールドワークというのか、霊の科学というのか。

大島さんの体験的実感としては、遺族が故人を偲ぶ心こそが供養になる。二千件以上の葬儀を実体験したお坊さんゆえに説得力がある。
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さて「死んだらおしまい」なのかどうか。
大島さんの体験では、死んでも「本人」は、いる、あるいは、ある。それを体験していった。
その「本人」から伝わってくる状態、伝わってくる思い、それを大島さんが実感したところを記録していった。その数が、2,500例。

ベストセラーなのだが、ほんど出版社は広告宣伝していない。どっと売れているわけではない。じわりじわりと、2,000部ずつほどに増刷していった。著者は実名は出しているものの、いっさいマスコミに出ようとはしない。不思議な本ではある。

出版社から続編を、と言われている。けれど、大島さんがその気にならない。このまま、見守っていく感じかな。
むしろ、外国語に翻訳して、英語圏やフランス語圏で展開したいと言っていた。もしかしても、そうなるのかもしれない。
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さて、死後の存在があるのか、どうか。来世も過去世もあるのか。ぼく自身は全くわからない。
死後があるにせよ、ないにせよ、ともあれ、この人生はまちがいなく今回限り。

今日という一日は、二度とこない。二度とやってこない瞬間瞬間だ。それをちゃんと生ききることに尽きると思っている。

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土の家づくりのほうが楽しいんじゃないか

「土の家づくりのほうが楽しいんじゃないか。池谷さんが人を集めてくれれば。宿と食事はタダ。こちらで提供する。一か月くらいかけてみんなで一気に作ったら面白い。」
そんな話になった。
農家民宿をしている水野さんに、ティピづくりのために帆布のことを聞いたときの話だ。
いま、わがやでは大量の孟宗竹を伐採している。さて、竹の使い道をどうしよう。竹チップ、竹炭など。しかし、手間とカネがかかるなぁ。
そうだ、ティピにしようか。中で焚き火もできて楽しい。しかし、竹はタダでも帆布に金がかかる。ということで、帆布に詳しそんな水野さんに聞いてみたのだった。
で、「ティピよりも、泥レンガの家づくりが楽しいんじゃないか」ということになった。
水野さんは、人が集まれば自分のところで作りたいという。
時間と体力のある学生とか、脱サラしてなにかやってみたいという人。
ということで、そうか、泥レンガの家か……おもしろそうだ。
あるいは、森のなかの秘密基地とかツリーハウスづくりもいい。

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この一か月くらいで、元気だった友人が急にがくんと体調を崩したり死んだり

この一か月くらいで、元気だった友人が急にがくんと体調を崩したり亡くなっている。
こんな過疎の山里だが、ちと多いと思う。


Tさん(72):元気で大木を切り倒していた。心房粗動になって脈拍が1分間で240になった。
Mさん(80):急に脈拍が落ちて、30代。緊急搬送。ペースメーカとなった。
Sさん(87):前日まで元気であったが、朝、布団の中で亡くなっていた。心筋梗塞らしい。
Iさん(67):一緒な田んぼなどをやってくれた親友。心臓が苦しい。それまで元気に活動していたが、動くと苦しい。
Nさん(74):元気で毎日あるいて、農作業していた。ある日、突然死。すれちがうと、いつも明るく話しかけてきた。
Sさん(75):普通に元気な大工さん。うちにきては、よくおしゃべりしていた。ちょっと足が悪い程度であった。突然死された。


高齢ということもあるが、しかしそれにしても、こんな過疎地で、多すぎるよう思う。こういうことが、これからますます増えるのか。この数ヶ月の異変ですむのか。そんなこと、いつものことなのか。よくわからない。メモとして書いておく。

石牧建築さんの加工場の見学

あかりを連れて、石牧建築さんの加工場の見学。とっても整然としていてさすがだ。石牧建築さんからは、いつも木っ端など廃材をいただいている。かんなをしゅーっとかけるところ。かんなの刃を丁寧に磨いているところなど見せてもらう。職人さんの打ち込む姿みていると清々しい。あかりは、幅のすごく広い長いかんなくずをに喜んでいた。帰り夜道、シカの親子連れ三頭を見たとあかりが言っていた。ざんねん、おとうちゃんは見られなかった。

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村の鍛冶屋  片桐保雄さん(90歳)

「フツーだけどフツーじゃない山里の90代」(すばる舎 刊行予定)。いま執筆中。投稿しながら書き加えていく段階。
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村の鍛冶屋  片桐保雄さん(90歳)
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◉村の鍛冶屋さん
「この手で75年も鉄をぶっ叩いてきたんだ」。
がっちりとしてたくましい指、あちこちに傷跡がある。
むかしは、村には必ず鍛冶屋さんがいた。鋤、鍬、包丁などつくったり修理した。竹細工屋さんもいた。箕やお茶を摘むカゴなど必需品。桶屋さんもいた。大工さんもいた。そういう職人たちが、かならずいた。
片桐さんは、遠州地方でも、おそらく唯一の鍛冶職人だ。
浜松市北部、旧佐久間町の西渡という山あいに暮らす。空と山の境界線がみえる。山上にある作業場から眼下に天竜川が見える。天竜川は北は諏訪湖から南は遠州灘まで流れる。


◉地金づくり地金づくり、研ぎから販売まで、ひとりでこなす。
鍛冶は真っ赤に焼けた鉄を叩いて鍛錬する。
「鋼と地鉄をくっつける作業があってね、これだけはほかの人に負けない自信があるんだ」。
強度を高めるため、鋼と鉄を張り合わせるが「鍛冶屋の腕の見せどころ」だという。
ふいごで風を送り燃え盛るコークス。その中にやっとこ(火造り箸)で鉄の塊を挟んで入れる。鉄の塊は真っ赤になる。それを取り出して、重たいハンマーを振り下ろす。何度も何度も叩く。すると、純度の高い強靭な鉄ができる。そして、冷たい水なかに入れて急激に冷やす。キシューっと大きな音がして蒸気がひろがる。鋼ができるのだ。
近所の小学校に通うの女の子は、その鍛冶を様子をいつもこわごわと見ていた。暗い中で真っ赤に焼けた鉄にハンマーを振り下ろしてる姿しか知らない。片桐さんは、笑った顔などとても愛嬌があるのだが、子どもたちはそれを見たことがなかった。「まるで鬼が仕事をしているようだ」と思ったという。
夏などはすごく暑い。風を通すために店のガラス戸は開け放たれている。しかし男の子などはそういう光景らは興味津々だ。思わず中に入って見ようとする。一歩踏み入った瞬間「危ないから来るな!」と怒鳴られる。
親以外の大人が、ちゃんと叱ってくれる時代だった。特に危ないことに関しては「おめえたち!そんなとこで何やってんだ!!」と叱り飛ばした。そうでないと、子どもは危ない世界を知らずに危険だ。そんな叱り飛ばす声が、なんだかとても温かいともいえる。


◉研ぎから販売まで、ひとりでこなす
つくる製品は鎌から斧、なた、包丁(柳刃、出刃、鯵切り、ハゼキリ、菜切り)、イノシシを仕留めるときに使う槍のようなもの。兼帯という腰に携行する山仕事の必需品で、鉈と鋸のセットなど。
山仕事用の鎌「金原鎌」(きんぱらがま)を作っているのも、片桐さんだけだ。金原鎌は天竜川の治水、治山に尽力した金原明善が指示して作られたのが始まりとされる。刃渡りは約40センチ。それに1メートルほどの柄を付ける。下草刈りにも使えるし、枝打ちにも誓うことができる便利なものだ。
これらの製品は、森林組合や営林署から注文をもらった。また、産業祭や物産展などのさまざまなイベントに出かけては自分で販売した。

 

◉親父に叱られながら、鍛冶を見よう見まねで始めた
片桐鍛冶店を創業したのは、父親だった。片桐さんは、7人きょうだいの長男だった。
「ここで暮らしていくために、おやじの跡を継ごうと決めた。14歳のときだったよ。親父に叱られながら、鍛冶を見よう見まねで始めたんだ。もう80年ちかくになる」。
○年前に妻が亡くなり、ずっとひとり暮らし。食事も自分で作る。
山上にある近所の神社(貴船神社)の氏子総代をしていたが、足腰が弱くなって登れなくなったので、役職は辞退した。
「まだいくらでも仕事はできるぞ。でもなあ、足腰が弱って痛くておもうようにいかん。長時間、同じ姿勢でする作業はきついな。足腰の痛みがなけりゃあ、まだまだがんばれるんだが。
ま、製品は腐るもんじゃないので、在庫は沢山あるんだ。惜しいのは、後継者がいないことだな。今の時代じゃ鍛冶屋は食っていけないかもしれんがなあ。弟子がいれば鍛えてやる。だが、いないもんだで、ぼくの代でおわりだ。
ま、もうすこし現役で頑張る。とにかく鍛冶屋の仕事は楽しいぞ」。

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