過疎の山里・春野町で暮らす

山里暮らしの日々を綴る/いちりん堂/NPO 法人 楽舎

足の指での遊び

さあ仕事するぞお!というときに、あかりがやってくる。

「おとうちゃん、積み木やろう」
──いやだァー。
「ダメえ」
という押し問答があって、やはりいつものように押し切られてしまう。
やれやれ仕方がないなぁ。と積み木遊びにつき合った。
けれどもやっぱり全然面白くない。

キリンさんが、かばさんがティラノサウルスがとやっていたんだけど、おとうちゃんはもう続かない。さてどうしたもんか。

──おとうちゃんは、もう飽きちゃった。ほかのことやろう。

そこで思いついたのが、足の指を使っていろんなものを掴んだり離したり持ち上げたりする遊びだ。
これにはあかりも乗ってきた。

足技を使ってものを持ったり動かしたり。投げたり引っ張り合い子をしたのであった。足を使ってカゴを頭にかぶせるというゲームも。

足の指をよく使うと頭の働きもよくなると思うので、なるたけ足の指を使うようにしたい。
こんどは、足の指で筆で絵でも描くかな。

こないだは川原で医師からは指でつかんで遠くに投げる遊びをしたんだった。今日もそれをしなくちゃー。

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いろいな脳があって、その脳のありようによって生き方がちがってくる

いろいな脳があって、その脳のありようによって生き方がちがってくる。

大きくは「奴隷脳」と「経営脳」。

「奴隷脳」。自由はないが安定を求める。ぼくはサラリーマン生活を12年やっているので、これだった。上司の評価を気にする。「やってる感をだす」のが仕事。ここを抜けだすのは相当に難しい。

「経営脳」。システムとしてどう利益を上げていくのか。人をどのようにうまく使うのか。人をうまく管理してシステムとしてお金が入るようにいつも考えている脳。

僕の友人にそういう人がいて、だいたいは大雑把。人に仕事を任せてしまう。ぼくは、これができない。ひとりであたふたしている。
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それから、ちがう見方をすると、「職人脳」「企画脳」「学者脳」。

「職人脳」。ぼくはフリーランスを30年やっているので、こちらにちかい。もちろんお金のためにやるんだけれども、いい仕事をちゃんとやろうという意識にはなる。でも収益性は二の次でつらい。

「企画脳」。あたらしいものを企画することが楽しい。実現の過程を楽しむ脳。ぼくはこの脳が支配的。東京暮らしのときから、いろいろ企画しては人を集めてイベントを楽しんでいた。

ぼくはこの田舎に来て11年。田舎に来たら、過疎地の田舎をテーマに、いろいろな魅力発信事業を始めた。人と人がつながるので面白かった。

しかも費用は、民間や行政に助成金を申請して展開する。ただし、自分の労賃は出ないので、こまねずみのように動かなくちゃいけない。これは、しかし疲れる。あ、そうすると「企画脳」というよりも「助成金脳」だなぁ。

「学者脳」。世の中を新しい視点からものごとをとらえなおして、論文にしていく。学生との語らいも、その論師の説得力を増すために活用できる。研究する姿が学生を啓発し指導する。これがうらやましい。なりたくてなれるわけじゃないので、時すでに遅し。
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最後に、「大日本帝国脳」。どんどんと拡大していく。拡大していくと勝った勝ったで勢いがある。しかし、戦力がないのに、拡大するので、一点に絞って深みのある戦いができない。始末に悪いのは、戦線が不利になるとあちこちに拡大していく、火をつけていく。

自分が正しいと思っている。ロジスティックス(兵站、物流システム)など、実現の構造が脆弱な精神論ばかり。なのでやがて収集がつかなくなる。そして、無条件降伏を迎える。ぼくはこの傾向性があるので、要注意。

あの美輪さんが、紅茶とケーキを持ってきてくださった

昭和歌謡はみなさん大好き。映像は、いつもよく施設で流している。YouTubeから65インチの大画面のテレビモニターに映すのだ。

きょうは、三橋美智也、春日八郎などを見ていたら、美輪明宏が出てきた。若い時の美輪明宏で、当時は丸山明宏である。「ヨイトマケの歌」を歌っていた。

大変に顔が美しく肌が綺麗。あたりまえだけど、歌がとてもうまい。表情もすごい。
「すごいわぁ、泣けるわぁ」と94歳の方が感心していた。たしかに、泣ける。

美輪さんは最強だなぁとつくづく思う。怖いものなし。堂々と自分の道を切り開いてきた。妥協なし。

むかしフリーランスのライターになった頃、美輪さんのお宅にお訪ねしてインタビューして、本を作らせてもらったことがあった。

家には紫色のロールスロイスがあって、豪華なバロック調の椅子に腰掛けて、お話を伺った。あの美輪さんが、紅茶とケーキを持ってきてくださった。

インタビューの途中で、いろいろ歌を歌ってくれた。その時の取材テープが、どこに行ったのか見つからない。

「身内みたいな」という言葉がある。

「身内みたいな」という言葉がある。親友なんだけど、より家族に近い関係だ。

先日も身内みたいな友人たちが集まって誕生パーティーを行った。それぞれ祝い合う。あかりも今月末が誕生日だし、友人も来月が誕生日である。一緒に食事をして雑談をすればいい。

何か困ったことがあれば手伝いあう。気楽にふらっと寄ってくれればいい。泊まってもいい。

それぞれ個性が違うし能力が違うし立場が違う。それぞれが役に立つことを発揮していけばいい。畑をせっせと手伝って雑草を抜いてくれる人がいる。部屋の片付けをしてくれる人がいる。僕はたいしたことはしないけれども、いろいろ仏教談義をしたり場所を提供したり。

それぞれがパスし合うというか、気が向いたときに何か役に立てばいい。役に立たなくてもいい。また別の人に役に立つようになればいい。そういう関係性をまさに身内のように作っていく。
れがこれからの時代、コロナ禍の時代にとっても必要かなあと思う。

これがまあ、家族、親戚、地域でできればいいんだけれど、なかなかそうもいかない。なので気の合った者同士、縁のあった人同士が寄り集まって、そしてまた縁があれば自然と流れていく。

縁が尽きればそこで解散していく。まぁそんなコミュニティーを作っていく、できていく。そんな程度がいいのではないかとおもっている。

以下、「日本習合論」内田樹著からの引用。
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凱風館は武道の道場ですけれども、僕が理想としている一九五〇年代の日本企業のかたちを模倣しています。疑似家族、拡大家族です。だから、武道の稽古と、寺子屋ゼミにおける研究教育活動が中心なのですけれども、そこに参加する門人ゼミ生たちを僕はとりあえず「身内」認定する。そして、みんなで宴会をし、スキーに行き、海水浴に行き、ハイキングに行き、麻雀をする。むかしの「会社」と同じです。
(中略)
凱風館は、構成員は家族を含めると数百人という規模です。そうなると、生活に必要な知識や情報や技能のかなりが共同体内部で調達できます。子守りであったり、引っ越しであったり、IT環境の設営であったり、着付けであったり、就職の紹介であったり、ベビー服のおさがりであったり......そういうことは共同体内で片づく。市場で調達しようとすれば、かなり高額の出費を強いられる商品サービスがここでは無償で手に入る。代価は要りません。贈与されるのです。 

ただし、贈与に対しては反対給付義務が発生します。「もらいっぱなしでは罰が当たる」という精神的な負債感が残る。これはあらゆる「贈与論」が教える通りです。でも、返礼は贈与してくれた人に直接するものではありません。自分もまた贈る機会があったときに、差し出せるものがあれば、それを贈与すればいい。

「パスをつなぐ」という言い方を僕はよくしますけれど、ボールゲームでは、次々と予想外のコース、予想外のプレイヤーにボールを送り出すことのできる"ファンタスティック」なプレイヤーのところにボールは集まります。贈与と反対給付で回る共同体経済でも同じです。

そこでプレイヤーに求められるのは「誰も思いつかなかったようなパスコース」を経由して「誰も予測できなかったプレイヤー」にボールを贈る創造的な力です。「子どもに碁を教える」「釣り師が釣ってきた鯛を三枚におろす」「アメリカの医療経済の状況を三十分でレポートする」......など凱風館で珍重されるのは、そういった「意外な情報、意外な技能」です。
(中略)
貨幣を持っていると、それを何かと交換したくなる。所有している金額と、交換したいという欲望の強度は相関する。それが貨幣の手柄です。その他にもいろいろ貨幣の機能はありますけれど、本質的には一つです。

だから、もし、貨幣を介在させないほうが早く交換が成立するなら、そこには貨幣の出番はないということになります。それが贈与と反対給付によって回る「コモンの経済」です。「あれ、ないかな」「あるよ。はい」「ありがとう」で話が済むなら、貨幣を稼いだり、かき集めたりする必要はない。

もちろん、こういうようなコモンの経済が成立するためにはいくつもの条件があります。コモンのメンバーが共同体を形成している必要がある。

凱風館がコモンとなり得るのは、それが道場共同体・教育共同体だからです。僕が師から伝えられた道統・学統を次世代に継承するために立ち上げた共同体です。第一章で述べたような「理解と共感に基づく共同体」ではけっしてありません。

先人からの贈り物を次世代に「パスする」ことが道場共同体・教育共同体の存在理由です。だから、ここではメンバー全員がパッサーとして自己形成することを求められています。

加盟の条件は一つだけです。「私はここで贈与されたものを次の人にパスします」という誓言をなすことだけです。それを誓約してくれたら、メンバーです。

ここには相互扶助それ自体を目的として加盟することはできません。合気道にも学塾にも興味はないけれど、仲間に入れてほしいという人は参加できません。僕たちが相互扶助的な共同体を構築しようとしているのは、それが成り立たないと「パス」が続かないからです。どんなことがあっても道統・学統を絶やさないために組織がある。その組織を維持するために相互扶助的にふるまわざるを得ない。

目的は道統・学統の継承であって、相互扶助はそのための手段です。「囲い込み」以前のイギリスの農村共同体が、農業技術や生活文化や伝統的な祭祀儀礼を守るために「コモン」の周りに結集していたのと同じことです。
目的は「集まること」ではなく「伝えること」です。その順逆を見落とすと、「コモンの再構築」は不可能だろうと思います。
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引用終わり。読みやすいように池谷が適当に改行しています。

三界は安きこと無しなお火宅の如し

頻発する自然災害のおおもとは地球の温暖化にあるのだろう。それは、二酸化炭素温室効果ガスによるものと思う。

温室効果ガスの温室効果のおかげで、地球は、人間が暮らしてきた。しかし、急激な経済成長によって温室効果ガスが増え続けて、地球環境は破壊されていく。

日本でも、巨大な台風、集中豪雨などによる土砂崩れ、川の氾濫が頻発してきた。そして、工林の増殖、あるいは太陽光による皆伐などで、土砂災害はましてゆく。自然環境は破壊されれば、もはや取り返しはつかない。
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田舎暮らしをきめて11年。よく田舎暮らし相談を受ける。しかし、「田舎も自然がけっして豊かではないよ」と伝えている。

川には魚はいない。森と思っていたが、そこは杉と檜の人工林が密集して生物は生息していない。耕作放棄地は太陽光のラッシュ。田んぼには虫たちはいない。

現にぼくが買った土地は1700坪と広大すぎるが、やはり土砂災害が不安だ。いま経営している施設だって土砂災害指定区域にある。土砂が崩れて川がせき止められたら堤防が決壊して氾濫する。

東南海地震も起きると言われている。もしも津波が来たら浜松市街は全滅だよ。浜岡原発は、春野からすると直線距離で60キロ。どこに移住しようが安全ということはないなぁ。
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さてどうするか。今さら移住しようがない。元気がない、体力がない、時間がない、カネがない。
そしてまた、移住した先が安全とは限らない。

「三界は安きこと無しなお火宅の如し 衆苦充満して、甚だ怖畏すべし」 (法華経 譬喩品)』

地球はこのまま温暖化によって大禍が生じる可能性は大いにある。それをどうしたら良いかは、頭で考えているだけ。
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今の利益中心、売り上げ中心の消費社会、資本主義が発達するほどに、地球環境は破壊されていくことは間違いなだろう。

しかしその資本主義の終焉をもたらすなあんてことは、自分にできるはずはない。そのためには、大変な精神力、結集力、哲学も政策実現力が必要だ。

ということで、死ぬ瞬間までこの世界がどのように変化していくのか、それを見続ける・見届けるということになる。そうして今ここを、今日一日を平穏に過ごすしかない。

つまるところ、洪水が来ても台風が来てもなにが来ても、平穏な生き方をする人生の探究ということになるのか。

海辺に育ち、山里に嫁いできた方の自分史づくり

こちらは83歳になる方の自分史。海辺に育ち、山里に嫁いできた方だ。
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幸浦海岸のちかくに暮らしていた。朝5時ぐらいから毎朝沖に船が出る。村人たちは、みんなで地引網を引く。アジ、サバ、イワシイカがたくさんとれた。シラス(イワシなどの稚魚)が網にいっぱい詰まっていた。子供たちには、小さな魚をたくさんくれた。

月夜には、大きなウミガメがやってくる。ほんとうに涙を流しながら産んでいた。産卵が終わると、砂を掘って深くに埋めて海に帰っていった。

しばらく日が経った頃、父親と夜明けに砂浜に行ってみると、卵から小さなウミガメがいっぱい孵っていた。孵ったばかりの子ガメたちは、一斉に海へ向かって歩いていく。波にさらされてひっくり返ったり流されたりする。それでも海に向かって歩いていく姿は、ほんとうに愛おしいものであった。

屋敷の庭が広くて、よく御嶽教の火祭りがあった。御岳教の行者が来て護摩を焚いた。白装束をして呪文を唱えて火をつける。もうもうと煙が立つ。最後は参加者みんなで火渡りをした。残った炭は魔除けになるといってみんなが持ち帰った。

そんな海で育った私が山里に嫁いできたのだ。はじめて春野にきて泊まった日の朝、起きてみるとあたり一面が山なのでとても驚いた。

お茶の季節になると、早朝から手伝った。お茶はまったくツヤツヤした新芽を摘む。「こんな新芽を摘んでいいのかしら」と言うと皆から笑われた。
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書いていての感想。
ウミガメの赤ちゃんが海に向かって歩くのを見に行きたい。
とりたてのシラス丼を食べに行きたい。

イスラーム経済のしくみと、マルクスの関心の持ち方とがつながるという新しさ

マルクスの問題意識
人新世の「資本論」齋藤幸平著 集英社発行が売れている。マルクスの思想のまったく新しい面を「発掘」し、展開している。こんな難しい本が、なんと30万部超の大ヒット。今の経済のしくみを冷静に分析するという意味でも、この書もマルクスも必読かなぁ。

②大学の研究者という職業
なにか新しい発見をすることが大きな仕事の目標。既存の見識とはちがった新しい視座を提供する。新しい視点で読み解くのが、大学教授の大きな仕事。

イスラーム教と経済がどうして結びつくのか。イスラーム経済のしくみと、マルクスの関心の持ち方とがつながるという新しさ。

以下、中学生の質問箱「お金ってなんだろう?」あなたと考えたいこれからの経済 長岡慎介著 平凡社発行より
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私は大学に入ってまもないころ、マルクスが書いた本をたくさん読みました。マルクスを読むのが大学で流行っていたのは、新しい世の中のしくみを作るぞ、と息巻いていた私よりもずっと年上の人たちが大学にいたころのことですから、私がマルクスの本を読みふけっているのは、少し時代遅れのように周囲からは見られました。

でも、流行が過ぎ去っていたからこそ、根拠のない理想に踊らされることなく、今の経済のしくみを冷静に分析するというマルクスのそもそもの関心の持ち方に沿って、彼の本を読めたのではないかと思います。

その後、私は大学の研究者をめざして、本格的に経済の勉強を始めました。大学の研究者という職業は、なにか新しい発見をすることが大きな仕事の目標です。ですから、偉大な先人であるマルクスと同じことをやっても意味がありません。そこで、お金を中心に成り立っている今の経済のしくみがどんなものなのか、マルクスとは別な角度から理解しようと試行錯誤をくり返しました。大学のときには農業の視点から、大学院に進んでからは、オークションという通常とは違う売買の視点から、今の経済のしくみの良いところ・悪いところを理解しようとしました。

どちらの視点からもおもしろい研究ができましたが、もっと誰もやっていないところから研究をしてやろうという思いが日に日に募ってきました。そんな矢先、「イスラーム経済」という聞いたこともない言葉を耳にしました。

イスラーム教というのが世界の三大宗教のひとつであることは、あなたも知っているかもしれませんね。でも、その宗教であるイスラーム教と経済がどうして結びつくのでしょうか?.当時の私には想像もできませんでした。

でも、イスラーム教でいちばん大切にされている言葉であるアラビア語を勉強して、イスラーム教にかんする本を読みふけっていくうちに、「イスラーム経済」というのは、今の経済のしくみの良いところ・悪いところを明快に理解するための格好の材料かもしれないと思い始めました。

そして、イスラーム経済のしくみを学ぶことで、お金を中心に成り立っている今の経済のしくみの良いところを生かしながら、みんながもっとしあわせになれる新しいしくみを作り出せるかもしれないと考えました。イスラーム経済と、私がずっと気に留めていたマルクスの関心の持ち方とがつながった瞬間でした。
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中学生の質問箱「お金ってなんだろう?」あなたと考えたいこれからの経済 長岡慎介著 平凡社発行より引用

「自分史聞き語り」は続いている。3話目だ

87歳の方の「自分史聞き語り」は続いている。3話目だ。
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戦時下は、いつも食糧難であった。栄養不足のため、母は乳の出が悪くて、生まれたばかりの妹は、とても小さかった。

私が小学校5年生の時だ。
妹が生まれて一ヶ月のとき、母と一緒に近くの神社にお参りに行った。そこで出会った赤ちゃんは、同じく生後一ヶ月なのに、まるまると太っていた。妹は全く貧相でやせ細っており、大きさに雲泥の差があった。

その子のお母さんが気の毒に思って、「お乳が出ないなら、うちにもらいにおいで」と言ってくれた。
私は、朝晩、毎日休まずに、妹をおんぶして、もらい乳に行ったのだった。
7月から10月までのまる3ヶ月、雨の日も風の日も、妹をおんぶして通ったのだった。身長が110センチほどの私が、いつも妹をおんぶしての子守係なのだ。もとより背の低かった私は、背が伸びなかった。

家に帰ると、食器を洗うこと、じゃがいもの皮を剥いておくこと、雑巾がけをすることなど、やることがいつも書いてあって、それをやらないと叱られた。

妹のオムツが濡れていると言っては、親に叱られた。おむつを洗うのは私の仕事だった。井戸があったけれど、つるべを落としてまた引き上げなくてはならない。幼い私には、そんな体力はなかった。村の真ん中には、川が流れていて、いつもそこで洗ったのだった。

小学校5年生の時に、担任の先生が出征した。
先生が村人に見送られていく時「空の神兵」という歌を、大声で必死の形相で歌ったのを覚えている。

藍より蒼き 大空に 大空に
たちまち開く 百千の
真白き薔薇の 花模様
見よ落下傘 空に降り
見よ落下傘 空を征く
見よ落下傘 空を征く

先生は、もう生きて帰ってくることはないと思っていたのだろう。しかし、先生は無事、戦地から帰って来ることができた。私は、その先生のおかげで習字が得意になったのだった。全国展で金賞もいただいた。すでに先生は亡くなられたが、その奥さまとは、手紙のやりとりは続いている。
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いつものように、お話を聞きながら、その場でiPhoneでの音声入力文字変換で行っている。

空き家のマッチングの仕事の可能性

いま山里は空き家だらけ。かなり加速度的に増えている。あこちもこちらも。あと数年したら、それこそ集落がなくなるかも。

ということで、次のような仕事の可能性もないことはないか。ま、地域との付き合いとか、ハードル高いけれども。
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だから、人がそこに存在しているだけで、「家の生命力」は賦活され、「山の生命力」は維持される。「存在しているだけ」ではちょっと言葉が足りないですね。そこにいて、「掃除」とか「片付け」とかをしているだけで、と言い換えます。

内山さんが書いている「枝をはらい」「憂を切る」というのは、家の場合だったら、「床を掃く」とか「打ち水をする」とか、そういうちょっとした作業のことだと思います。

ただ、そこにいるだけじゃダメなんです。そこにわずかなりとも秩序をもたらそうと志向すること。だから、空き家に狐狸の類が棲みついても、崩壊は止まらないと思います。獣はたしかに生命体ではあるけれど、「家の中を片付ける」ということをしないからです。

カオティックな世界にわずかなりとも秩序をもたらそうとするものが出現すると、それだけで世界はその表情を変える。

「引きこもり」を現代の堂守・寺男として採用

昔から、どんな神社仏閣にも堂守や寺男と言われる人がおりました。けっこう巨大な寺社、たった一人で暮らしていることもありました。たいした仕事があるわけではありません。門を開け閉めしたり、鐘を撞いたり、庭の落ち葉を掃いたり、本堂に風を通して拭き掃除をし......くらいの仕事です。

でも、そういう人が一人いて、そこに寝泊まりして、そこにささやかな秩序を保つための作業を日々繰り返しているだけで、巨大な建物が崩れずに持された。

軽作業ができる程度の人を一人住まわせておけば、その人が分泌する生命力と、秩序をもたらそうとするささやかな労働だけで大伽藍は維持された。そのことを昔の人は経験的に知っていたのだと思います。

堂守や寺男は防犯防災のために配置されていたわけではありません。腕っぷしの要る仕事ではありませんから、押し込み強盗や盗人がきたら、とても太刀打ちできなかったでしょうし、煮炊きをするわけですから防災上は「いないほうがまし」かもしれない。でも、寺社を無住のままにすることを昔の人は決して望まなかった。

この堂守・寺男の仕事を無住の寺社、無住の家屋の維持管理のために就業斡旋することはできないだろうか......ということをこの間考えつきました。それは友人の渡遮格・麻里子ご夫妻を鳥取県ねたときに聞いた話から思いついたのです。

智頭もしだいに人口が減っている町ですけれども、その山奥にはさらに過疎の進んだ集落がある。あるとき、ついに住民がゼロになってしまった。でも、江戸時代から続く立派な家屋敷が残されている。お盆には法事に戻りたい。そこで「誰かに代わって住んでもらいたい」という話になった。

たまたま家を探している女性がいて、その人が「住みたい」と言ってくれたので、集落の大きな家に住んでもらうことになった。その人は昼間は町へ下りて、パートの仕事をして、夕方になると集落に帰って、一人で夜を過ごす。

人一人いない集落で寝起きするのはさぞ心細いだろうと僕は思うのですが、どうもそういうのが好きだという人だったらしい。そのうちまた二人、若い夫婦が集落に家を借りて、いまは家が数十軒あるその集落に三人が暮らしているんだそうです。

その話を聞いているうちに「これってうまくマッチングしたら、やりたい人けっこういるんじゃないか」と思いました。

日本には今「引きこもり」が一〇〇万人いるそうです。終日部屋に閉じこもって、何をしているかわかりませんけれど、とにかく外に出たくない、誰にも会いたくないという人がそれだけいる。

その中には、「別に自分の家の部屋じゃなくてもいい」という人もいるはずです。とこでもいいから、人と顔を会わさないで静かに暮らしたいという人がいたら、彼らを「現代の堂守・寺男」として採用したらどうか。

他人とコミュニケーションを取るのが苦手だというので部屋にこもっているのだとしたら、「無人の家で寝起きして、煮炊きして、ときどき雨戸をあけて風を入れたり、座敷を掃いたり、廊下を拭いたりしてくれるだけでいい」という仕事なら「やってもいい」という人がいるんじゃないでしょうか。一00万人のうちに何千人かでも、そういう人がいたら、就業機会を提供できる。

昼寝をしていても、ゲームをしていても、本を読んでいてもいい。とりあえずそこにいて、家の生命力を賦活するという仕事です。たいした対価は受け取れないかもしれませんが、とにかく労働して賃金を得ることはできる。
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日本習合論
ミシマ社 著者内田樹 

軸足を編集のほうに。やはり本作りにエネルギーを注いでいこうと

先日、ひさしぶりに友人から電話があって、長話をした。彼は少し鬱気味で辛かったようだ。

私も体調がけっしていいほうじゃないので、他人を励ますなんてできないし、しない。自分のありようを語るのみだ。

「現実と直面するしか、現実を乗り越える道はないよね。悪戦苦闘して悪あがきしていて死んでいく。ぼくはそう決めているんだ」みたいな話をしたのだった。

その方から、「こないだの話、とても救われた思いがした」というお礼の電話だった。すこしは役に立ったみたいだ。

ところが、私が編集した本を差し上げたことがあった。
彼が言うには、本棚にそのまま置いてあったが、池谷さんに電話して思い出した。その本を何気に読んでみた。そうしたら、とても救われた、と。

こうして、心が弱ったときにこそ、助けられる思いがする。けっして押しつけがましくない。まさに「かかりつけ医」のように語りかけてくれている、と褒めてくださった。「こういう時代だからこそ、こういう本をもっと出してほしい」と言われた。

そうなんだ。あの本は、そういうサポートになっていたんだ。嬉しかった。

ということで、いまの事業は超低空飛行で維持しつつ、軸足を編集のほうに。やはり本作りにエネルギーを注いでいこうと思ったのだった。

イメージを使うという方法

呼吸について、内側から感じる、気づく、観察するということについて書いたけれど、ちがう方向のアプローチがある。それは、イメージを使うという方法。

こちらは、祈りとか念、祈祷の次元になると思う。仏教の文脈でいうと、前者は原始仏教、後者は密教に近いかな。

内田樹さんの「日本習合論」を読んでいて、祈りとイメージとの関連性を感じた。

以下、引用。読みやすいように改行は池谷が勝手に行っている。
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武道の稽古をしていると、脳内に生じる「念」がどれほど身体の物理的・生理的プロセスに現実的影響を与えるのか、よくわかります。

たとえば、ある技を行うときに、「相手の腕をつかんで、引き上げて、肘をねじって、投げ倒す」というふうに運動を「念」じるか、あるいは「空中にある剣の柄をとらえて、胴を切り払って、刃筋の進む方向に全身を整える」というふうに運動を「念」じるかで、動きの質も動線も使われる筋骨も、まったく違うものになります。

そして、この場合は「相手の腕をつかんで......」というふうに目の前にある現実を相手にするよりも、「想像上の剣」という、「そこにないもの」を操作するほうが、技が効く。現実変成力は大きい。そういうことが起こる。
(中略)
以前、合気道部の部員からこんな経験談を聴いたことがあります。彼女が中学生の頃に、校舎の中で友だちを追って走っていたら、夢中になって目の前にガラス戸があることに気がつかず、そのまま割って通り抜けてしまった。体重四〇キロもないか細い女の子が、廊下のガラス戸を突き破ったのです。彼女は「ガラス戸が存在しない廊下」という「そこにないもの」にリアリティを感じたせいで、巨大な現実変成力を発揮したわけです。

現実を相手にしている人間だけが現実的であるわけではありません。非現実的なものを相手にしている人間のほうもまた等しく現実的であり、ときにははるかに現実的である。認知的には「非現実」とみなされたものが、遂行的には「現実的」に機能することがある。だとしたら、「現実」と「非現実」の境界線はどこに設定したらよろしいのか。

僕はそのような境界線をきちんと線引きすることはむずかしいだろうと考えています。

人間の理性が及ぶ範囲は限定的です。その外側は、人知をもってもっては制御しえないものが領域です。

ときどきその「外部のもの」が境界線を越えて、人間たちの世界に侵入してくる。逆に、人間がうっかり境界線を踏み越えて、「外」に迷い込んでしまうこともある。

だから、「外部のもの」を迎え入れたり、押し戻したりするための、あるいは「外」に迷い込んだ人を呼び戻すための儀礼や戒律が伝統的に存在する。(日本習合論 ミシマ社 著者内田樹より)
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かぎりなく伸ばしていく。かぎりなく縮んでいく。

呼吸法についての探究。
息を吸うとき、「ここまで」と止めない。
かぎりなく吸い続ける。やがてある時点で、吸うことが止まってやがて「吐く」ということになる。

吐くときも、「ここまで」と止めない。
かぎりなく吐き続ける。やがてある時点で、吐くことが止まってやがて「吸う」ということになる。
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これ、体操でもそうなんだけど「ラジオ体操」の動きのように、はい、ここまで、と止めない。
かぎりなく伸ばしていく。かぎりなく。そして、かぎりなく縮んでいく。かぎりなく。

いつまでもいつまでも続くというかたちで、身体の動き、呼吸の動きを味わう。内側から観察する。

原始仏典の「大念住経」(マハーサティ・パッターナ・スッタ)のなかに「身随観」という表現がある。身体の動きを身体に従って観察していくというふうに捉えている。

坐禅の数息観にも通じる。初期仏教のヴィパッサナー(ヴィ=ちゃんと パッサナー=観察する)の実践でもある。
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そんなことして、どういう効果があるのだ、と言われる。

やっていておもしろい。
いまここに集中できる。
リラックスする。
あれこれと飛び回る想念、思考が減る。

 

こんど、奈良の吉野の仕事が入ったので、その時に訪ねるよ

奈良の五條市にいる親友が、毎年、貴重な桃を送ってきてくれる。学生時代、ゼミの合宿でほんのちょっと話をしただけのつながり。ともにそのゼミは脱落したし。

奥様がいつも丁寧に手紙をつないでくれていたので、つながってきた。学生時代の友人で、交流があるのは、彼だけである。

10年前、ぼくが東京から移住して、大規模な農地を手にして、有機農業の真似事をしてみたいという時、いろいろアドバイスしてもらった。

お礼の電話をして、しばし雑談。

「同期の友人たちは、みんな定年退職して、悠々自適やわ。暇を持て余してのんきなもんや。あんたの活躍は、Facebookでいつも読ませてもろうとるよ」

──みんな余裕があっていいなあ。ぼくは現役の真っ只中。子育てしながらデイサービスをしながら編集の仕事をしながら、あれもこれもれも手を付けて、どれも中途半端。ほんとにバタバタしてるわ。

まあ、おそらく死ぬ瞬間まで現役だろうなあ。のんびりと旅するとか、もうないなあ。悪あがきしながら、悪戦苦闘しながら死んでいく。その道しかないよ。

そんな語らいをしたのであった。

やらなくちゃいけない仕事が、目の前にたくさんあるというのは、ストレスフルだけど、ありがたいことと思うことにした。現実に直面。それは、魂を磨く機会。社会貢献であり、子供の成長につながることであり、後世につながる道であると。

こんど、奈良の吉野の仕事が入ったので、その時に訪ねるよ。12年ぶりかなあ。
そう言って電話を切ったのだった。

 

いつまでも元気でいてもらいたい近隣の頼もしい人

どどどどどどっ。
ん? だれだ?

おーい、元気かぃ。
やってきたのは、近所の岩本さん。82歳。

ひさしぶりに、バイク乗るんだ。
これは、じつは女房よりもかわいい。言う事聞いてくれるからな(笑)

うちのラン(甲斐犬)の散歩に行ってくれたり、梅の実をたくさんもってきてくれたり、クルマのバッテリーを交換してくれたり、あかりに亀をもってきてくれたり。

ちかくのホタル公園のホタルのために、ホタルの餌になるカワニナを遠くからもってきてくれる。
草野球チームのピッチャーをしている。こないだは、富士まで遠征していた。

どうだった、勝った?
そう聞くと、
おれが出なかったから負けた。ここんとこ、腰が痛くてなあ……。

いつまでも元気でいてもらいたい近隣の頼もしい人だ。

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