過疎の山里・春野町で暮らす

山里暮らしの日々を綴る/いちりん堂/NPO 法人 楽舎

「板まんだら事件」裁判の過程

いま創価学会は「本尊にまどっている」状態。その一番最初の攻撃は、この裁判であった思う。

Mさんとの対話の続き②

───Mさんは、創価学会と戦ってきました。それも本部職員(民主音楽協会)に在籍しながら、というのがすごい。よくやりましたね。しかも、「蓮悟空」というペンネームで創価学会批判の出版もしていました。

「ずいぶんといやがらせをうけたよ。後に除名になったけれどね」

───話題になったのは、巨大な宗教団体である創価学会を相手取って裁判をしたこと。時間もお金もかかったでしょう。

「そうだなあ。裁判は10年以上。費用は3億円以上はかかったよ」

───うわあ。それはすごい。その資金はどうやって捻出したんですか?

「自腹でやってきたけれど、お金がない。そこで、北海道から九州まで行脚して寄付金を募ったんだよ。そうだなあ、5,000か寺〜6,000か寺にになると思う。とくに日蓮宗は応援してくれて、いろいろなお寺を紹介してくれたよ。ただ、浄土真宗は関わりたくなかったようだが。他の宗派は応援してくれた。」

───ううむ。5,000か寺〜6,000か寺。これまたすごい。そのとき訪ねたお寺との交流がネットワークとなって、無形の財産となっていますね。
しかし、あんな巨大な宗教団体と戦うなんて、よく身体が無事でしたね。いのちがいくつあっても足りない。

「シロアリを床下にまかれた。猫の遺体が玄関にぶら下がっていた。クルマを壊された。無言電話は毎日。駅のホームから突き落とされたこともあったよ」

───よくぞご無事で。ところで、裁判記録をざっと読みましたよ。一審から控訴審、そして最高裁の判決まで。「板まんだら事件」として、ネットで検索したら出てきます。
裁判の趣旨は「正本堂の御供養金の返還請求」となっています。

正本堂」は、広宣流布のときに本門の戒壇となる建物である。本門の本尊(板曼荼羅)を安置する建物である。御供養は、千載一遇のチャンスである。そうやって創価学会に寄付を募った。4日で350億円あつまった。いまでいうと、5,000億円くらいか。

けれども、じつは本門の本尊(板曼荼羅)はニセモノであった。広宣流布は至っていなかった。よって、創価学会は詐欺行為である。Mさんはだまされた(法的には「要素の錯誤」)。なので、供養したお金(400万円)を返せというものですね。

創価学会は、正本堂を建てるに当たって、あおりに煽ったんだ。
〝御本仏、日蓮大聖人様の御遺命たる本門戒壇建立のため、広宣流布のため、正本堂建立に御供養申し上げ奉る大福運と大功徳は、釈尊在世中よりも、数千万億倍すぐれ、日蓮大聖人御在世中よりも、なお偉大であり、一生一代の名誉ある御供養にさらにいちだんと励んでいこう。(中略)

正本堂建立に御供養申し上げ奉る大福運と大功徳は、釈尊在世中よりも、数千万億倍すぐれ、日蓮大聖人御在世中よりも、なお偉大であり、一生一代の名誉ある御供養にさらにいちだんと励んでいこう(『大白蓮華』昭和40年10月号より)〟と。

ところが、その正本堂に安置される本尊(板曼荼羅)は後世の偽作であることがわかった。当時は、ホンモノは、保田妙本寺にある「万年救護の本尊」だと気がついたんだ。

───創価学会は、こう言ってきました。すべての根源は本尊にある。創価学会が正しいのは、本尊が正しいからだ。富士大石寺にある、三大秘宝の大御本尊(板曼荼羅)こそが唯一絶対の御本尊だ。そのようにして信徒をたくさん増やしてきました。

Mさんは、その本尊は日蓮がつくったものではなくて、後世の偽作であることがわかった。そのことを広く世間に宣揚したかった、運動として世論をまきこみたかったわけでしょうね

「そうなんだ。板曼荼羅がニセモノであると、創価学会に詫び状を書かせたかった。ところが、裁判になるとそれは難しいので、御供養金返還という形の訴訟としたんだ」(以下続く)

高橋源一郎の人生相談から

なかなか深くておもしろい。高橋源一郎の人生相談(二人の人に対しての回答)
わたしの周りでも、何人もの、近しい人たちが、自ら死を選びました。
そのたびに、考えたのです。いったいなぜ、彼らは死を選ばなければならなかったのか。
答えはないのだと思いました。きっかけはあったかもしれない。でも、確固とした理由は、彼らにもわからなかったような気がします。
「死」が、暗く冷たいなにかが、「闇」が彼らを抱きしめた。「闇」に抱きしめられることを無上の安らぎと感じるほどに、彼らは、疲れ、傷ついていたのかもしれません。
そう思うようになって、決めたことがあります。現実の前で、わたしは無力だった。
「闇」から、彼らを引き戻すことができなかった。だから、せめて、少しでもいいから、「生」に、「光」のほうに振り向いてもらえるような「ことば」の作り手になりたい。
お母さん。悲しんではなりません。自分を責めてもいけません。それが生き残った者の責務だからです。彼を奪い去っていった「闇」ではなく、あなたは、「光」の側に立たなければならない。こう思ってください。
「わたしのところに来てくれてありがとう。短い時間だったけれど、幸せだった。今度会うことがあったら、抱きしめさせて」と。
彼を二度死なせてはならない。あなたの記憶の「光」の中で、生き続けさせてください。そして、あなた自身もまた、「光」の中で生きてくださるように。
  ▽
こんな話を聞いたことがあります(実話です)。
Aさんは有名な芸術家(詳しくは書けませんが)でカッコよく、高齢になるまでたいへんモテて、奥さんに知られぬように幾人もの愛人(多くは「クリエーター」だったそうです............)を作りました。
晩年、Aさんは体を悪くし、寝たきりになりましたが、奥さんは、この人の世話はわたしがするからといって、他人の手は借りず、ひとりで世話をしました。
そして、動けなくなったAさんの耳もとで「あんたのやったことは全部知ってたわよ。いい気なもんよね。なあにが、クリエーターよ。なあにが芸術家よ。お互いに理解し合ってるって?気持ちワル!いい気なもんよね。
人をバカにするのもほどがあるわよ。これからずっとあなたがやってきたことを教えてあげるから」と、毎日何時間も、Aさんが死ぬまで、ささやき続けたそうです。
Aさんが気の毒だと思いますか?ぼくは、そこまで追いつめられたAさんの妻のほうが気の毒だと思いますが。
そういうわけで、あなたが、Aさんのような目にあわれても、申し訳ありませんがわたしとしては同情できかねます。っていうか、あなたほんとに悩んでます?
その77歳の方との恋愛の心配をするより、ご自分の晩年の心配をしたほうがいいんじゃないでしょうか。でも、もう遅いかもしれませんけど。
『居場所がないのがつらいです』(高橋源一郎著 毎日新聞出版)から

いちりん楽座「創価二世問題」4月21日(日)14時〜17時

いちりん楽座「創価二世問題」(仮)
4月21日(日)14時〜17時(入室は13時半から雑談)
参加費無料 どなたでも 途中入退室可 顔出しも自由
GoogleMeet 下記をクリックすれば参加できる。
https://meet.google.com/ohk-xxgz-znx

「チンゲン革命」という読み物を連載している、若本大作さん(ペンネーム)がゲスト出演してくれることになった。

若本さんは、創価二世である。親が創価の信仰をしており、本人の意図ではなく、いわば信仰(あるいは洗脳)の道を歩まされてきた。
 ▽
宗教の二世の問題は、子どもの頃から信仰を刷り込まれることにある。「この信仰が正しい」と教え込まれ、信仰や組織を離れると、「不幸になる」「地獄に落ちる」と脅かされる。

自分で選び取って躍動している信仰なら、それでいいのだが、宗教二世問題というのは、根が深い。信仰が強烈・濃密であるほどに、子どもは大きく影響を受ける。それは、エホヴァであれ阿含宗であれ、顕正会であれ、創価であれ、同様だと思う。
 ▽
成長していく過程で、その信仰や教義や組織のありよう、いろいろと疑問が湧いてくる。疑問をもって、躍動のない信仰を強いられるのはとてもつらかろう。
かといって、信仰(日蓮創価の組織、池田大作)を離れらるかというと、それが難しい。親とか親戚とか組織の仲間とかに「退転者」だとか言われる。
だがやがて、納得のいくかたちで信ずることはできなくなってくる。
 ▽
若本さんは、ついには信仰を棄た。自ら疑問に抱いたことを、解決しようと模索する過程を「チンゲン革命」として連載している。

その若本大作さんをゲストに、創価の諸問題、日蓮の教義の矛盾、宗教や信仰そのもののありようについて、自由に語りあおうという企画だ。
 ▽
講義でも講座でもない。若本さんの体験を池谷がインタビューしつつ、参加者が自由に発言できるというかたちをとりたい。

※写真は4/10の聖教新聞に掲載されたもの。
池田大作氏の若き日の写真(日蓮「御義口伝講義」のときのもの)聖教新聞では、AIでカラー化が始まっている。

チンゲン革命
https://note.com/hokkelotus

 

 

ブッダは釈尊だけではない。決して一人の人物を意味していなかった

ブッダ釈尊だけではない。決して一人の人物を意味していなかった。」

これは、仏教学の大御所、中村元先生の論文である(「釈尊を拒む仏教」)。まさに「目から鱗」であった。かいつまんで、要約してみた。

①仏教とは「ブッダとなるための教え」「ブッダの説いた教え」である。
ブッダの説いた〉とは、〈釈尊の説いたもの〉と暗黙のうちに了解されている。ブッダとは、釈尊である。しかし、釈尊だけがブッダであろうか。

②そうではない。当時は、修行を完成した人は、みんな〈ブッダ〉とよばれていた。ブッダとなることを教えた人々は当時、幾人もいた、釈尊ひとりだけではなかった。

③ジャイナの修行者も、ウパニシャッドの哲人も叙事詩に登場する仙人もみな〈ブッダ〉とよばれている。
仏典においても、他の修行者たちもブッダと称していた。最古の仏典(例えば『スッタニパータ』)によると、すぐれた修行者たちもみな〈ブッダ〉とよばれている。

ブッダとなるための教えは、釈尊が説いた教え以外にもあった。ただそれらは、後代のインドに「仏教」としては伝えられなかっただけである。

⑤異端者デーヴァダッタ(提婆達多)はこの視点から再評価さるべきである。

⑥かれはブッダとなることを教えていた。その意味でかれは仏教者である。当時〈ブッダ〉とよばれていた多くの思想家・宗教者の中では、かれが最も釈尊に近い人であった。それなのに、かれは仏典においては極悪人として扱われている。どうしてか?

⑦デーヴァダッタは立派な修行者と認められていたからこそ、多数の信徒を得ていた。けれども、デーヴァダッタは教団に封する忠誠心が無かったために、五逆罪を犯した最大の悪人とされてしまったのだ。仏典においてデーヴァダッタに対して向けられている嫌悪は異常であり、ほとんど病的でさえある。何故このような憎悪が成立したか?

⑧ナンダ王朝からマウリヤ王朝にかけてインド全体が統一されるにつれて仏教教団は大発展をとげた。アショーカ王は教団の分裂を恐れていた。大教団が一つにまとまるためには、シンボルがなければならない。ゆえに、釈尊のすがたは急速に神格化、巨大化される。仏教は〈釈尊教〉とでもよばるべき性格を強くしていった。

⑨〈釈尊教〉の性格が強まるとともに、他のブッダたちは抹殺されるか、地位を低められた。ブッダとは釈尊ただひとりと考えるようになった。釈尊を神格化するとなると、かれに対抗したデーヴァダッタはますます悪人とみなされるようになった。

釈尊を拒む仏教徒、すなわちデーヴァダッタの徒衆は西暦四世紀頃まで存続していた。法顕は5世紀にネパール国境近くでデーヴァダッタ派の教団に遭遇したと『仏国記』に記している。

詳しくは中村先生の論文。
1968年12月25日に『印度學佛教學研究』17巻1号に掲載され、2010年3月9日に公開された。
https://www.jstage.jst.go.jp/article/ibk1952/17/1/17_1_7/_article/-char/ja/

本当は日本人ってすごいのよ‥‥。そのすごい日本人を骨抜きにしようとしたアメリカの戦略が成功したってことよね

「本当は日本人ってすごいのよ‥‥。そのすごい日本人を骨抜きにしようとしたアメリカの戦略が成功したってことよね」
───そうかも。それにしても、気概がない。希望がない。
「これからの日本をよみがえらせるには、教育しかないわよ」
───いまの教育は、従順で体制に逆らわない、辛抱する人間を育てるためにあるみたいなものですからね。
  ▽
A用品店の店主との会話。83歳になる。
いつも二俣の町にでるとき、ふらっと寄る。
夫は元日大の相撲部にいたという強者だが、もう亡くなっている。
店の裏には伊豆石で作った蔵があった。そこには、有吉佐和子疎開していたという。惜しいかな、もう解体されてしまったのだが。ああ、もったいなや。
 ▽ 
あかりは、ここで雑談している間、となりの書店(谷島屋)に立ち読みに行く。疲れては帰ってきて、そしてまた立ち読みに行く。
「昔は、立ち読みする生徒がたくさんいたけれど、いまじゃ一人もいないよ。日本人ってバカになっちゃったみたい」
───そもそも本を読まない。みんなテレビ見て、「テレビが言ってたもん」と。信用して大騒ぎしてしばらくしてもう忘れている。ますますバカに。
「これから教育をつくりなおして、ほんとうの日本人を作るには、あと100年はかかるわね」
───おちるところまで、おちる。それしか復活はないかもしれませんね。
  ▽
昨年、スリランカスマナサーラ長老と対話した。
以下は、そのときのやりとり。
───いまの日本は先行き不安ばかりです。自信を失い、ものすごく閉塞的になっています。暗い人がどんどん増えていきます。ダメになっていく感じをみんな持っているんですね。どうしたらいいのでしょうか? どんどん坂道を転がるような感じがあります。
「わたしは、小さいころ親たちからよく言われましたよ。〝お前たちは怠け者だ。日本人を見習いなさい。日本人というのはいつも働いているんだよ。手洗いにいっても編み物で何か縫っているほどだ。そうやって、アジアで第一の国になったんだ〟と。
その勤勉な日本人はどこで止まってしまったんですかね。いつから化石になってしまったんですかね」
───化石になってしまった‥‥。どうしたらいいものやら。
「しかし、これを解決することは、簡単なことなんです」
───簡単ですか。
「こう思うことです。
世界は毎日毎日変わる。変わる。世界は、毎日毎日違う。世界は、瞬間瞬間、変わる。
変わっていく現実に対して、わたしはどうすればいいかと悩んでも仕方がないんです。
変わっていることに気づけない人々は、死ぬしかないでしょうね。
大きな地震が起きて津波がくるとしたら、もう一目散に逃げるしかない。
津波が来るのに、何かも捨てて逃げなかったら、津波に巻き込まれてしまいます。
水に浮かんだボートは波が来れば揺れますね。それに乗っていれば、ボートに合わせて体も揺れるでしょう。揺れるのにまかせるしかないんです。一緒に揺れなかったら水の中に落ちるか、ボートが転覆するかでしょうね。
まあ、私のような年齢になってきたら、あんまり先がない。だから揺れなくてもいいともいえますが。それはそれで、どんどんフリーになっているので結構なことなんです」
とにかく瞬間瞬間、世界は変わる。状況は変わるんです。
そのことが本当にわかるかどうかです」
───なにしろみんな先行き不安でいっぱいです。昼も不安で夜も不安。いつも不安。
「不安なのは、そもそも安定を求めているからです。
安定はないと腹をきめることです。
安定した会社、安定した商売、安定した家族。そんなものはないんです。時計がいつもちゃんと動いていたとしても、ずっとそのまま安定して動くわけはないのです。いつか止まることもあります。すべては瞬間瞬間、変わるのです」

今日から週一のフリースクール

あかりは学校に行っていれば小学校三年生になる。だが、行かず。「一斉授業はつまらなので、絶対に行かない」と宣言している。まあ、それはそれで仕方がない。

今日から週一のフリースクール掛川市だからここから一時間余。すでに親しい友だちが数名いるので、楽しみにしていた。
  ▽
通うのは、週一のキックボクシング(休まず行ってる)とフリースクールとなった。月2の太極拳はおとうちゃんに着いてくるだけ。阿波おどりもはじめた。

家では読書とお絵かき、ストーリー性のある漫画も描き出した。そして、AI相手に将棋。将棋は1日最低3局は対戦しているが、みるみる強くなってきている。

読書の楽しみを覚えてくれたのは嬉しい。読書が好きなら自分でどんどん進めるからね。まちなかにいくと「かならずサイゼリヤと書店によってほしい」と言われる。

食事した後は、立ち読みをじっくり1〜2時間。いや立ち読みじゃないなぁ。椅子を持ってきて集中して読んでいるんだ。
  ▽
あとは、社会勉強。おとうちゃんの秘書みたいな感じでついてくる。助成金の申請に行く時、「役所だよ。ここはこういう仕事していて、こんな感じなんだよ」と案内。部課長以下20人くらいにかこまれてのプロポーザルにも一緒に参加させる。

市会議員の事務所に一緒に立ち寄って雑談。ベトナム人僧侶のビザ取得のために入管にも同行した。ベトナム寺院が宗教法人を取得するために県庁に行くのだが、それにもついてくる。

本作りの打ち合わせにも同行。昨年は、スマナサーラさんの本作りにも参加した。伊藤忠財団のレセプション、国会議事堂前の議員会館石破茂事務所での打ち合わせにも同行させた。
  ▽
あかりは、まちがいなく激動の時代を生きることになる。サバイバルの無常の世界。偏差値教育の罠にハマって学ぶのはもったいないと思っている。

「自分で選択して、自分の責任で学ぶ」という道を歩ませたい。義務で仕方がないから学ぶということじゃなくて。

人間、楽しいこと、躍動することに集中すればすごい勢いで力がつく。とくにいまの時代は貴重だ。

 

「鉄腕アトム」手塚治虫と遠藤周作

GoogleKeepに入れて「画像のテキストを抽出」を選択すると、1秒でテキストにしてくれる。この機能は、とても便利。

なお、たくさんのページの本などのテキスト化は、GoogleDocumentをつかうと、かなりの精度でテキストに変換してくれる。ネットからいただいた画像。
  ▽
火の鳥」生と死

ぼくは医学生時代、何度も人の死に立ち会った。
映画「赤ひげ」ではないが、死とのたたかいはなんと壮厳で神秘的なものだろう。
死を迎えたとき、その肉体のどこで、どのような機序がなされ、息たえたときに浮かぶ一種の法悦感は、なにを物語っているのだろうか?
死とはいったいなんだろう?
そして生命とは?
この単純でしかも重大な問題は、人類が有史以来とっくんで、いまだに解決されていないのだ。
ある人は宗教的にそれを解釈し、あるいは唯物論的に割り切ろうとする。

ある説によれば、霊魂は物質として存在し、肉体をはなれるときにはその重さだけ体重が減るという。
ふくざつな蛋白質――コロイドとよばれる状態には、疑似生命現象がみられ、ぎゃくにビールスの中には、生命があるのかどうかも疑わしいものがある。

生命が物質なら、それらにも霊魂があるのだろうか?
人間は何万年も、あした生きるためにきょうを生きてきた。あしたへの不安は死への不安であり、夜の恐怖は死後の常闇の世界の恐怖とつながっていた。人間の歴史のあらゆるときに、生きるためのたたかいがなされ、宗教や思想や文明のあらゆるものが、生きるためのエネルギーにむすびついて進歩した。

火の鳥」は、生と死の問題をテーマにしたドラマだ。古代から未来へ、えんえんとつづく「火の鳥」永遠の生命とのたたかいは、人類にとって宿命のようなものなのだ。
  ▽
アトムと私
遠藤周作

どこの家庭でも同じだろうが、私の家でも夕食どき、幼稚舎に行っている坊主と私とのにテレビの争奪戦がある。彼が見たいものは私にはあほらしいし、私の見たいものは彼が首をふるのだ。

息子は子どもだし、私は大人だから、けっきょく我慢させられるのはこっちで、そのためずいぶん、子どもの番組につき合わされた。「三馬鹿大将」や「チビッ子ギャング」に「名ラッシー」など、いやでもほとんど見ている。そのうち、いやいやでなく、こっちもたのしみながら見ている番組があるのに気がついた。

それは『鉄腕アトム』である。テレビで『鉄腕アトム』を見てから、ときどき、ひまなとき、息子の部屋にしのび入って、彼の本箱から、この本をさがすようになった。私はだいたい、息子にはどんな漫画本でも文句なく与える主義である。

よく漫画本を子どもがよんで困るという母親があり、そのご心配もわからぬではないか、つまらぬ、かびのはえたような偉人伝ばかりを与えることによって、子どもに本とはおもしろくないものだという考えをうえつけるのは、角をため牛を殺すことになる。

本とはおもしろいもの、本とは自分の生活に結びついたもの、という気持ちを知らず知らずのうちに与えるほうが、将来への感情教育に有益だと私は思うから、わが家では漫画本もどんどんかうことにしている次第だ。

だから、息子の本箱は、ほとんど漫画である。その漫画本の中でも、いちばん私がひきずりだすのは「鉄腕アトム」である。
理由は単純だ。おもしろいからである。そして、画のなかの空想性がいちばん、のびのびしているからでもある。

息子のベッドにひっくりかえって、『鉄腕アトム』をよんでいる自分の格好はあまり、ほめたものでもないと思うが、ときどき、ひょっとすると、も私と同じように、ひそかに子どもの部屋からこの本をかりだして熱読しているパパやママが意外に多いのではないかと考えては、自己弁解の代わりにしているわけだ。




 

判決を通して創価学会の歴史を見ていく

「判決を通して創価学会の歴史を見ていく」という探求の方法があります。

創価学会日蓮正宗、さらには日蓮正宗と正信会との間に、数々の裁判が行わました。その判決を読んでいくと、いろいろみえてきます。

1つは「板まんだら事件」(本門の本尊である日蓮の図顕した曼荼羅=板まんだら)がニセモノである。そして、正本堂は「本門の戒壇」ではないから、御供養した金銭を返せという裁判。これは最高裁まで争われました。

2つは、阿部師の管長の地位不存在と、正信会員住職の代表役員地位不存在の訴訟。日蓮正宗内部でも、争いが起きて、裁判闘争が繰り広げられました。

3つは、破門された創価学会日蓮正宗の間での裁判です。これは、たくさんありすぎるのですが、ひとつ一つみていくといろいろわかってきます。

まあ、相当なヒマ人か、相当の熱意がないとできない作業ですけど。池谷はわりとこういうのが好きなので、ひとつ踏み込んでいこうかと思っているところ。ま、きょうはそれよりも、たけのこ掘りに行かなくちゃ。

あかりの口グセ

あかりの口グセ。

客観的な証拠は?
過去のことじゃなくて、「いま」の話でしょう。「いま」!

おとうちゃんのロジックを、そのまま返してくる。

あるいは、「おとうちゃんはそう言うけど、おとうちゃんはやってない」と言われる。

子どもは、親の言うことは聞かない(本気度を出すと聞くけれど、あんまり使いたくない)。
つね日頃の親の姿をみているわけで。それは当たり前なんだけど。

というわけで、ともに成長していくのが子育てということに。

常日頃の親の姿をみているわけで。それは当たり前なんだけど。

あかりの口グセ。
客観的な証拠は?
過去のことじゃなくて、「いま」の話でしょう。
おとうちゃんのロジックを、そのまま返してくる。
「お父ちゃんはそう言うけど、おとうちゃんはやってない」と言われる。
子どもは、親の言うことは聞かない(本気度を出すと聞くけれど、あんまり使いたくない)。
常日頃の親の姿をみているわけで。それは当たり前なんだけど。

やらなくちゃいけないことは、やる。 あとまわしにすると、取り返しがつかない。

やらなくちゃいけないことは、やる。
あとまわしにすると、取り返しがつかない。
なので、時をはずさないで、やりきる。しかない。

と思うんだけけど、これがなかなかできない。
ついつい後回し。
そして、あとですごく苦労する。倍以上、苦労する。

きょうもある件で、取り返しのつかない事態に(;´д`)トホホ…

とにかく始めてみたら、手を付けてみたら。
あれれ、すんなりいける‥‥。そういうものだ。

やらないで放置している間のストレス、もやもや感がエネルギーの消耗になっている。
  ▽
いまやらなくちゃいけないこと最優先、プロジェクトづくり。

①GoogleKeepに「なすべし」リストを細かく分けて書き込む。EvernoteからGoogleKeepに乗り換えたところ、使いやすい。

②仕事を人固まりゃなくて、細かく分けていく。すると、「ああ、これならできる」とやれそうになってくる。そして、できる。ストレスが少し減る。

③ひとつやると、バッと二重線が着いて消えるようにしている。

④もうひとつは、Macのなかで、タグで管理することにしている。ディレクトリー管理はつかれるのでしない。「なすべし」のタグでぱっと呼び出せるようにする。

⑤ちょっと時間のある時、暇な時に、ちょいちょいとこなせるようにしておく。

あっ、いつの間にか、できている。
そういうふうにしたい。

戒壇の本尊(板曼荼羅)の真偽についてMさんに聞いた

「おれも長くないから、色々聞いておいてくれ。あなたなら、それらを整理して文章にして残してくれると思うから」
───Mさんが、当時の日蓮正宗創価学会の究極の本尊、板曼荼羅に疑いを抱いたのは、なにが〝きっかけ〟だったんですか?
「それはね。矢島周平に出会ってからなんだ」
───矢島周平というと、元創価学会の理事長ですよね。牧口常三郎戸田城聖の頃の創価学会の最高幹部。
昭和18年に初代会長牧口常三郎が逮捕された際、矢島氏も逮捕・勾留。出獄してから、昭和24年に『大百蓮華』の初代編集長。戸田城聖が理事長を辞任した際、後任の理事長に就任している。
その矢島氏に、どのような経緯で出会ったわけですか?
「矢島周平は、創価をやめてから日蓮正宗の僧侶になったんだよ。埼玉の大宮の本因寺の住職になったんだよ。たまたま、そのお寺の前の仏壇屋で雑談していたら、そのことを聞いた」
───ほうほう。ぼくも大宮に住んでいたので、そのお寺も仏壇屋も知っていますよ。
「で、いろいろ話をしているとき、板曼荼羅はじつは大石寺の御影堂(みえいどう)にかかっていた。それがある時、宝蔵におさめられた。戸田城聖がそれを見つけて、〝これは?〟と聞くと、〝曰く因縁のあるもので〟ということだった。
その時、戸田さんは「これをもって本尊としよう」と思ったようだ。大石寺としては、「まあ創価学会という講中の本尊としたなら、問題なかろう」という程度だったようだ。それが、折伏大行進時代で、あれあれという間に100万人規模に信徒が増えていった。いまや1200万人という。
───大石寺としてもびっくりですよね。地方の小さな寺が全国展開。そして、信徒とお金がどんとん入ってくる。いまさら、「板曼荼羅は後世の偽作」なんて言えない。
「そうだと思うよ。それで、矢島周平が言うには、〝じつは日蓮正宗には日蓮聖人のあらわした本尊はひとつしかない。それは、保田妙本寺にあるんだ〟という」
───はい。保田妙本寺には、「万年救護」の本尊がありますね。文永11年12月に身延の草庵であらわしたもの。もしも日蓮の出世の本懐というのなら、そちらのほうじゃないかというわけですね。
 ▽
ひさしぶりにMさんと話をした。もう80も後半になる。「そういえば元気かなあ」とひらめいたので電話したのだ。
彼は創価学会の本部職員であり、職員でいながら創価学会に反逆した。
かつて創価学会正本堂を建立するとき4日で355億(いまでいると5,000〜8,000億円くらいか)を集めた。
その正本堂に安置される戒壇の本尊(日蓮の図顕した曼荼羅を板に刻んだもの:通称「板曼荼羅」)が後世のニセモノと気づいたからである。歴史考証、書誌学などを学んでいくと、ニセモノというのは、容易にわかるのだが、当日の創価は熱烈な信仰集団。そんなことに疑いをもつ人はいない。
板曼荼羅こそが究極の真実であり、末法の人類を救うものであり、これを拝むことで自身の不幸の宿命を断つことができる。幸福になることができると強く信じられていた。いわば「幸福製造機」(二代会長の戸田城聖の言葉)として、信じられてきた。(創価日蓮正宗に破門されたから、拝めない。ゆえに、板曼荼羅については言及していない。むしろ偽作説に舵を切っている)
 ▽
その辺の経緯は複雑なので別稿にする。
私に関心があったのは、「Mさんが「なぜそのようなことに気づいたのかということであった。
───おたがいに年だから、いつ死ぬかわからない。生きているうちに色々聞いておこうと思ったんです。さきほど友人の日蓮宗のIさんに電話したら、「ちょうどいま葬式の準備している」と。そりゃ坊さんだから、葬式に忙しいだろうと思いきや「いや、おれの葬式だよ。いま女房と打ち合わせしているんだ。もうすぐ死にそうだからな。死ぬ前に還俗して、俗のまま死んでいくんだ」と言っていました。
「いかにも、Iさんらしいなぁ」
───大寺院に生まれて、お金も時間もある。それで、宗内で活躍したって意味がない。むしろ困っている海外の人を助けようとNGOをつくって活動してきた。なんとラオスに学校を123校も建てたと言いますよ。
そんな話をしていたら、「とみろでMさん、元気かねえ」というので、ひらめていて電話したんですよ。
「Iさんお父さんにはお世話になったなあ。もう100歳になるのかなあ。日蓮宗にこんな粋な人がいたのかと思ったよ。出会ったのは、創価学会板曼荼羅裁判していた時(最高裁まで争った)、全国の日蓮宗のお寺を行脚して、寄付を募ったときだったよ。ずいぶんと、いろいろなお寺を紹介してくれた」
 ▽
───Mさんは、かの巨大宗教団体と公然と裁判闘争して、批判する本を出し続けていったわけで、それはすごいことですよ。当時の創価学会はたいへんなものでしたからね。よくぞ、身の危険から逃れたものです。
「まあ、いろいろ妨害されたよ。盗聴されたり、床下にシロアリ撒かれたり、クルマは壊されるわ、猫の死体がぶら下がっていたとか、枚挙にいとまがない」
───それはそれは、ごくろうなことでした。まあ、そのおかげで、創価学会の洗脳枠から外れて、深く日蓮研究も進んだってわけで、よかったっていうことで。
「そうなんだよ。学ぶのは楽しいぞ。もっと若いときに「善知識」(真の仏道に導いてくれる人)に出会ったていたらなあ。まあ、こればかりは、過去世の縁もあるし、望んでも難しいこと。出会ったとしても、こちらの受け入れる素養がなくちゃ、通りすぎていくしね」
───まったくです。よき人との出会い、師匠との出会いは人生の最大のテーマです。
まあ、Mさんは、池田大作という人を師匠として本部職員になったので、そこが最大の失敗でしたが、それがまたあとから、日蓮創価学会という教団の探求になっていく。なにが幸いするかわかりませんね。
「そうなんだ。まったく」
───ぼくは、創価日蓮の法門の教義よりも、その人間のありよう、教団のありように興味があるんで。また、いろいろな経緯を教えてください。そのうち、縁があれば本にまとめていこうと思います。
(以下、続く)

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①さくさくと入力できる。
②単語検索が俊敏。
③イラストや画像をまとめて入れられる。それをらをギャラリーでみていると、アイデアが浮かぶ。ドローイングの機能もいい。
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背景には、Evernoteの動作が不安定ということがある。それまで、すべてEvernoteだった。さっと書いて検索も俊敏。しかし、昨年から、アプリがうまく機能しない。それで、もう諦めた。
評判がいいので、Notionに移行もしてみたが、いまひとつ使いにくい。検索スピードも不満だ。
で、代わりになるを探したものの、inDesignとの関係でMacのOSが古い(10.11.6)、なので、最新アプリは使えないものが多い。
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Evernoteに代わるもの。簡単にメモ書き、下書きができて、検索が俊敏なもの。そして、途中で壊れたりしそうにないもの。
そうすると、やはりGoogleの機能を使ってみるかということになった。
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ただ、不満なことはある。
①文章のボールドがない。Evernoteなとは、大切なところをゴシックにしたりハイライトにしながら、あとでぱっと要点がつかめた。それができない。それで、大切なところは、■をいれることにしている。
②画像を文中に挿入できない。ホームページをそのまま画像入りでコピペできない。
③タグ、ラベルの並べ替えなど、ショートカットできないので、そこがやや不満。

 

「私はこのように聞いた」(如是我聞)

経典は、「私はこのように聞いた」(如是我聞)ということばから始まる。

「私」とは、釈迦に常にともなっていた阿難(アーナンダ)である。経典は、阿難が釈迦の教えを聞いたことをもとに、つくられたということになっている。

釈迦が滅したあとに、その教えが散逸しないようにまとめるという集いが行われた。「仏典結集」(サンギーティ)という。第一回目は、摩訶迦葉マハーカッサパ)が主催して行われた。

阿難は、その時点で悟っていなかった(アラハントに達していなかった)ので、その結集には参加できなかった。しかし、結集の行なわれる明け方、悟りを得て参加したと言われる。

そして、五百人の比丘にむかって「わたしはこのようにブッダが教えていることを聞いた」と語る。それを比丘たちが、納得・了解してまとめられたのが経典ということになる。
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この「仏典結集」は、古代インド語のサンスクリットで「サンギーティ」という。「サン」は、一緒に、ともに。サンガ(ともに学び合う集い)のサンだろう。「ギーティ」は、歌である。音律といっていいか。

ブッダの教えを確認しながら、音律にしていた。きっとある種のメロディーになっていたはず。そのほうが覚えやすい、伝わりやすい。この場合、文字にしないで、ギータ(歌)として伝承されていった。文字になったのは、滅後百年後あたりか。

その「ギーティ」が、中国で音訳されて「偈」(偈)になった。有名なのは、『法華経』の「自我偈」である。
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これは、北伝仏教も南伝仏教も同じで、みな阿難が「わたしは聞いた」というところから始まる。

大日如来が説いたとされる密教大日経』ですら、「かくのごとく我聞けり、一時(あるとき)薄伽梵(ばがぼん)は如来の加持せる広大なる金剛法界宮に住したもう」(『大日経』冒頭の「住心品」)となっている。「理趣経」も、しかりである。

法華経』も同様である。
「是の如きを我聞きき。一時、仏、王舎城耆闍崛山(ぎしゃくっせん:霊鷲山)の中に住したまい、大比丘衆万二千人と倶(とも)なりき」(序品第一)ではじまる。

ただ、『般若心経』は異質である。いきなり「観自在菩薩‥‥ではじまる」。また、最古層の経典の『スッタニパータ』や『ダンマパダ』などは、そうなっていない。いきなりブッダ箴言から始まる。
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形式としては、ブッダは「問われれば説く」という対機説法なので、「対告衆」(たいごうしゅう)というものがある。

法華経』は「如是我聞」ではじまるものの、対告衆なく、いきなり始まる。「無問自説」という。智慧第一の舎利弗(シャーリープトラ)に向かって説かれる(方便品)のだ。
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こないだ創価の会員と話していて、「経典というのは、阿難が釈迦から聞いたとして説かれた形になっているよ」というと驚いていた。

かれらは、朝晩の勤めは、『法華経』の「方便品」と「如来寿量品」をよむ。そのとき「爾時世尊。従三昧安詳而起。告舎利弗。諸仏智慧。甚深無量。其智慧門。難解難入。」とくる。「告舎利弗」というので、舎利弗が伝えたと思っていたのであった。

「それはちがうよ、舎利弗は対告衆なんだよ。伝えたのは阿難ということになっている」というと、「いままで、そんなことは考えたことがなかった」という。

まあ、ひとつの宗教にハマると、大前提の基礎的な仏教の仕組みというか、前提をすっ飛ばしていることがたくさんある。

「知らない」ことを知っていれば学ぼうするけれど、「知らないことすら知らない」と、まったくこれは探求の世界は閉ざされてしまう。

消滅集落にある行政施設の活用の提案

消滅集落にある行政施設の活用の提案をしている。
うちからクルマで30分。まちなかから2時間余。
昨年の3月から、すでに集落に住民はいない。消滅集落。
そこにある施設。活用しないのは勿体ない。
ということで、活用の提案をしている。
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そこを拠点に〈まちなかから〉人が来るようになればおもしろい。
人がいない秘境。そこが魅力。センス・オブ・ワンダー体験ができる。
まったく川の水は美しい。キャンプも可能。
囲炉裏を囲んで焚き火をして語り合いの集いが持てる。
親子のお泊り体験も可能。
しかし、道は良くない。石が落ちてきて危ない。
道路の補修も必要。豪雨のときにリスクはありそう。
それと、懸念されるのは、活動によって移住者が出てきたりすると、せっかく集落仕舞をしたのに、住民がいれば道路の補修、がけ崩れの補修など、費用が増える。そこが、都市経営上問題と思われるかもしれない。
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地方では人口減少が避けられない。そのためには、「選択と集中」の考え方を徹底してゆく。投資と施策を集中すべきである。
「東京一極集中」を防ぐためにも、「若者に魅力のある地方中核都市」を軸とした「新たな集積構造」の構築が目指す。
ゆえに、コンパクトシティの方向。コンパクトな拠点間を交通・情報ネットワークで結ぶ地域構造を構築して、行政や医療・福祉、商業などのサービス業の効率性や質の向上を図る。( 日本創生会議・人口減少問題検討分科会での議論 増田 寛元也 元総務大臣座長)
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4月末に行政によるヒアリング。ずらっと部長クラスに囲まれての質疑。それによって採点されることになる。
関心のある人、このプロジェクトに応援したい方がいたら、参加してくださればありがたい。池谷まで連絡を。日時:4月26日 14時。浜松市役所。